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タイトル ライブラリアン・ラプソディ

46 キョム きょむ 虚無 パラダイス

 「虚無」。この言葉が今の私にフィット。スカスカの心のすき間に、ふとこの二文字が浮遊する。キョム、きょむ、虚無……。音にすると、なんだかちょっとかわいい響きだぞ。そうそうNHKの連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」には、「伴虚無蔵(ばん・きょむぞう)」っていうキャラクター登場してたよね。大部屋役者で切られ役を20年以上も続けている強者、いや兵、「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ」との名言も。全然虚無じゃないじゃない! でも一度こころに住みついた「虚無」はなかなか離れてはくれないの。だったら虚無と仲良くしてみよう。虚無との距離の縮め方、知ってます?  

 まず「虚無」とは、広辞苑第7版を開くと「何物もなく、むなしいこと。空虚」とある。はいはい、全くそんな気分ですよ。と、『虚無感について』(青土社 2015)に思い至る。ナチスの強制収容所での体験を記した『夜と霧』の著者であるヴィクトール・E・フランクルがまとめた「ロゴセラピー(実存分析)」に関する論文集である。ロゴセラピーは、心理学者であるフランクルが提唱した心理療法で、患者が自らの人生のなかに意味を見出すのを援助することを課題とするものである。本書で扱われる「実在的空虚」とは、無益感や空虚感、無意味感といった感覚のことで、多くの患者がこれを訴えて精神科医を訪れていると。しかし、これは恥ずべきものではなく誇りにすべきものであり、人間が達成したものだとフランクルは語る。人間存在に固有の意味があることを当然だと思うことなく、いろいろなことを試し、冒険し、疑問を抱き、実存の意味という問題にチャレンジするということは、若者の特権であると。なるほど! 僥倖だ。でも若者の特権ですか、 オーバー40も享受してもいいですか? フランクル教授。

 『世界でいちばん虚無な場所』(柏書房 2020)は心揺さぶられる一冊。産業革命の犠牲となったクジラやペンギンが眠る孤島「幻惑島(Deception Island)」、ゴールドラッシュの痕跡を残す野望と迫害の荒野「世界の終わり(End of the World)」、冷戦時代に核の実験場となった虚構住宅街「破滅町(Doom Town)」などが登場する。世界に散らばるこれら悲しい地名の多くは大航海時代に由来するもの、私たちが想像する「冒険とロマンの物語ではなく、世界を征服し、天然資源を採取し、王国や帝国を拡大し、無教養で野蛮な人々を搾取、キリスト教化しようとした野望」の歴史の爪痕であると。あー、なんということか。世界は虚無の集合体なのかもしれないと思う。

 アメリカ人画家エドワード・ホッパーの作品「夜更かしの人々(Nighthawks)」を見るたび、虚無という言葉が浮かぶ。タイトルとはうらはら、ひと気のない寂しげな暗闇の街に、ガラス張りの広い空間の明るい店内に店主と3人の客、楽しいはずの夜更かしが、なぜかいつも私を不安にさせる。3人の客の背後に広がる深い闇のせいか、この絵からは音やにおい、過去も未来も今さえも感じない。真空というべき虚無感。この絵の中に迷い込んだら即座に窒息しそうな予感。

 「ケア」は閉鎖的で差別的、抑圧的で虚無と冷笑の対象ともなり得るもの、しかし人間関係の基本は「ケア」の思想だ! とは、『親切で世界を救えるか』(太田出版 2023)。「鬼滅の刃」やアニメ「平家物語」、映画「金の国水の国」など、近年のポップカルチャーはケアの要素が多分に含まれ、「ケアをする者」の人気が高くなってきているのを感じると著者の堀越英美氏。気配り、配慮、心配、お世話、他人を気にかけるこれらすべてがケアの領域である。ケアする人=虚無ではなく、ケアできる人=かっこいい! の世界へ、虚無の飛躍は世界を救えるんじゃないだろうか。
 「誰にだって虚無なときはある。そんな日こそウマいものを」という料理研究家リュウジの『虚無レシピ』(サンクチュアリ出版 2023)。「虚無ツナごはん」に「虚無もやし」、虚無=究極のアイディア勝負ということね。虚無との共存、そんなに特別なことでもないかもね。

挿絵1
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