
こんばんは。燗酒が合う季節になってきました。薬缶の沸く音と煮物、柚子の香り。書き物が捗ります。
読み返す本と、読み返したくない本。背筋の伸びるテーマを振っていただきました。どちらかといえば「読み返したくない本」のほうに心惹かれます。私は人の性格形成には遺伝要因よりも環境要因の方がより影響していると思っている派なのですが、環境と経験というものに関連性があるのはご存じの通りで、経験が人をつくっていると言っても、個人的にはそんなに違和感がない。ゆえに経験が大事…というのはもちろんなのですが、最近は経験との出会い方というのも、経験の有無と同じくらい大事なものなんじゃないかと思うようになりました。
「読みたい」という気持ち、読んだものが自分の中に残っていることに気づいたときの気持ち、「今じゃない」と本から手を引いたときの気持ち。自分がどんなときにそんな気持ちと出会うのか、出会ってきたのか。一冊一冊の本が自分をつくってきたと思うのは、単に情報が知識として自分に蓄積しているということだけではなく、自分の気持ちと向き合うきっかけになり続けてきた経験があるから、というところもあるのかなと。「あなたがその本を読み返したくないのは、なぜ?」という問いは、その人を知るのに、なかなかに面白い質問なのではないかと思いました。きっと「どんな本が好き?」よりはずっと良い。
会話や書き物(この手紙のやり取りもそうなのですが)にフィクション要素を入れたがるのは、私の恥ずかしい癖でして…ちょこちょこ自分でも反省をしているところです。内輪受け感が出てしまうといいますか。「通じたら面白いかな」に甘えてしまうんですよね。ただ、反省はするんですが、してるんですが…嫌いじゃないのが正直なところで。文面に隠された暗号に気付いてくれますか?みたいな。面倒くさいやつだけど、悪人というわけでもないと思っていたい。
自分が話す/書くを発信する側でもそうなんですが、受信する側でも、結構楽しんでしまいます。図書館の本棚の前でも、ちょっとした遊び心や仕掛け、ひねりに気づいて心の中でニヤリと笑い、「この棚作った職員さん…誰だ?」と図書館のカウンターをチラ見する体験は嫌いではありません。特に勤務館以外の図書館を見るときは、「何かないかな」と棚に人の跡を探しながら見ていることが多いと言ってもいいくらいで。本当にひねくれた楽しみ方をするやつだと、自分に呆れてしまいます。
ちなみに、大林さんのお手紙を読んで「素直に書簡体小説を思い浮かべたら何がでてくるかな」というのもやってみたのですが、パッと出てきたのが夢野久作の『瓶詰の地獄(瓶詰地獄)』で、手紙の種類よ…とこれまた苦笑しました。この作品は私の所謂「読み返したくない」作品の一つでして。社会人になって、決断には割り切りも大事ということを覚えて、でもやっぱりモヤモヤしていた時にこの物語を読んで、「これで(自分の解釈で)合っているのかな?」という悩みは捨てないほうが面白い、と背中を押された(?)思い出があります。あと、なぜか、「そんな自分、ちょっとアウトロー」と感じていたことも告白したいと思います。
今回はお恥ずかしい手紙になってしまいました。熱燗の肴に少し酸味が欲しかったんです。手紙は夜に書くなとはよく言ったものですね。(高)
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