こんにちは。この手紙を書いている頃、東北では梅がほころび始めました。水も温くなり、オオイヌノフグリやヒメオドリコソウも元気です。
年明けから3月の年度末にかけて晩酌の節制をおろそかにしてしまった影響か、先日、血圧計の数字が私史上ちょっと見たことがない数値をたたき出していました。世間でいう「厄年」を迎えたこともあり、春の陽気と逆行してちょっと引き締めないとなあと、そんな日々を送っています。
読むことと、書くことと。確かに「読む」のほうが身近で、バリエーションに富んでいる印象。「書く」となると、話題に上げるには相手を選ぶという感じでしょうか。
「私、けっこう本を読むんですよ」ならホウホウと相槌も打てようものですが、「私、文章を書くんです」と言われるとソレワソレワ!と一歩引いてしまうような場面もたまに見かける気がします。
個人的には「書く」は文化的にinterestingな営みだと思っているので、実際に書くのはもちろん、「『書く』を語ることが楽しい」になっていくこと応援派でもあります。「書く」推進委員会。
「読む」に比べて「書く」のハードルが高い気がするので、これを何とか乗り越えたい。ハードルを低くしましょうか?それともジャンプ力補助のためのロイター板(ばねのやつ)を用意しましょうか?「書く」は難しいので、話し言葉でO.K.です、テンプレートを使いましょう、140字以内におさめてください、ふきだしに短文を入れるだけで大丈夫。…あら不思議、今度は「読む」も難しくなってきた気が。行きついた先がソレワソレワ!
個人的には(文章下手な自分はこう思っています話)、やはり、地道にレベル上げするのが一番手っ取り早いのかなあなんて思っていて、文章を書く機会に遭遇したら逃げないようにするのが大事かなあと。コードを覚えてスムーズにコードチェンジできるように、とにかくギターに触って練習しましょうと。で、人前で演奏する場に突っ込んでいきましょうと。 「Leap Before You Look(見る前に跳べ)」アメリカの詩人(生まれはイギリス)、オーデンの言葉は、音楽漫画『BECK』(ハロルド作石, 講談社)でも引用されました。「Write Before You Read」と言ってしまうと、幼少期の言語の獲得…みたいなノリが出てきてしまう気がしますが、「読んだら書く、書いたら読む」くらいの親密さでやっていきたいなあと自分としては思っていたりします。
ふざけてオッケーなお手紙ということで、私が書くときに考えていることを徒然なるままに。
自分自身を考えると、何かを書く理由の中に「残そう」はほとんど無くて、「伝えたい」が大部分を占めているように思います。なので、文章を作る前に、「誰に」「何を」をはっきりさせてから筆を下ろすことがほとんどで。
特定の人に何かを伝えるための文章なら、正確にわかりやすく。読者の誰かに何かを感じてもらいたい文章なら、全体的に同じ味付けにするのではなくメリハリをつけて(炊き込みご飯ではなく丼物)。読み手の何かを変えてみたい(意識を変えたい、当たり前を見直してほしい等)ときは、論理的整合性に気を付けつつ人間味をはさみ込んだ文章に。自分を知ってもらうための文章なら、スポットライトの当て方に気を配って。
最終的には「楽しいから書く」に落とし込みたいのですが、私の場合は「言いたいことをうまく文章にできた」から満足ぅー…というよりも、「書いた文章に言いたいことがちゃんとこもった」らフンス!といったほうがしっくりくる気がします。いただける声には、たくさんの「なに書いてんだかわかんない」の中に、少しだけ「共感したよ」があるようなことが多いといいますか。
なんにせよいろんな文章をいろんな目的で書いてみて、人に見せたり見せなかったりも試行錯誤してみて、何が一番自分にあっているか、納得や満足があるかを探ってみると、「自分はどんな書き手になれるのか/書き方が合っているのか」の方向性が見えてくるのかもしれませんね。
ちなみに、この手紙の文章についてはくれぐれも分析などせず、棚に上げておいていただけると助かります。なにせ、ふざけた往復書簡ですからね。(高)
design pondt.com テンプレート