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タイトル 司書の私書箱

No.33「写真と撮影ルールの手紙」

挿絵
※挿絵はクリックで拡大します。

 こんにちは。ついこの間、蝉が鳴き止んだと思っていたら、あれよあれよという間にお坊さんが走り始めました。お坊さんの忘年会にご一緒させていただいて、二次会で妙に伸びのある声のカラオケを楽しんだことがあります。さすが日頃から唱えているだけある…と思ったのですが、そのカラオケが今勤務先の図書館で担当している移動図書館に繋がっていたりして、センスオブディスティニーが止まりません。

 図書館での写真撮影の話から御成敗式目が出てきて、「頭の中、何事か!?」と思わず今までもらったお手紙を読み返してしまいました。本当に役得な思いをさせてもらっています。

 さて、写真撮影についてです。時折耳にするこの話ですが、正直この議論について私はちょっと遠い意識を持っています。神様が何なのかーなんてことを語る言葉は持ち合わせていませんが、「撮影はご遠慮いただいているんですよ。神様ですので…」と言われても、私は撮りたいところでシャッターを切るなあと率直に思いますし、たぶんそんな感じで生きてきています(ご神体を撮りたい!と思ったことはたぶんないのですが、山とかは心動かされて撮ったことがあります)。…なんて言ってしまうと、「自己中なお前はな。」で終わってしまいそうだったので、ちょっと丁寧に考えてみたいと思います。

 私は写真を見るのが好きです。撮るのは下手ですが、好きです。撮られるのは苦手です。でも、写真には力があると信じていて、「写真を撮る」という文化に対して社会がポジティブになっていってほしいと願っています。なので、決められたルールでの良い悪いはそれはそれとして、どうやったら人や世間に迷惑をかけずに撮影者が取りたい写真を撮れるかを考えたい人間です。例えば図書館での「撮影禁止」ルール。もしかしたら、その図書館ではそんな制限系のルールを決めるに至った何か事件なりがあったのかもしれません。もしかしたら、なんでもルール決めたい系職員がいたのかもしれません。もしかしたら、著作権法の解釈の問題なのかもしれません。人間社会ではいろんな立場があるので、いろんな決まり事がつくられているんだろうなーと思います。いろんな立場があることはそりゃそうだろうなーと思うので、ルールそのものやルールを作った人へのいら立ちとかはそんなに真剣に感じることは私は少ないです。ただ、「ルールで決まってるならじゃあダメだね」と諦めてしまってはカメラは像を結ばない。シャッターを切らなくては何も始まらないでしょう。ではどうやって?
 図書館の棚づくりや企画展示、建物、サービスを記録したい!という目的なら、その館の職員さんに目的と撮影した写真の使い道(この場合は記録目的とか、自館の業務改善のために職員間共有までとか)を伝えて、シャッターを切る場面に同行してもらって、シャッター音を極力抑える努力をして撮影する。その場で撮影物を職員さんに確認してもらって誰にも迷惑がかかっていないことを証明する。私個人は図書館ではこの目的ではあまり撮らないのですが、よっぽど撮りたいと思えばその館にリスペクトをもってこんな感じで交渉する気がします。
 図書館での利用光景に感動して、この瞬間を切り取りたい…という目的であれば、どうしても利用者さんが写りますよね。私が図書館で撮影したいと思うときはこのパターンが多いです。その時はシャッターを切る前、もしくは切った後に直接その利用者さんなり職員さんなりに声をかけて許可を取っています。前述したとおり、私も写真に撮られるのは苦手な人間なのですが、撮影している人の誠意や善意なり目的なりコミュニケーション力なりで、「まあいいか、悪いようには使われないみたいだし」となれば、撮られた後に、フィルムを出してください(現代だとデータを消してください)とまではわざわざ言わない気がします。もちろん被写体の「あなたに(この場合、私に)撮られたくない」「嫌だ」という気持ちが最優先なので、拒否があれば撮らない、もしくはデータ削除の証明をして謝る…という感じでしょうか。ただ、運が良いことに一度も拒否されたことはありません。 
 そんなわけで、図書館でたまに見かける「他の利用者さんが写らなければ…」というセリフは、職員としてはそう言わなければならないんだろうな、くらいに考えてまして、あとは目的への熱意と相談して上手に直接交渉!のスタンスです。
…書いていて、私、迷惑なやつなのかなと沈んでまいりました。ちょっとアンドレ・ケルテスの『読む時間』(創元社 2013)をめくってきます。

 少し回復しました。現実世界でこんな私が(一応)普通に社会生活を送れているのは、「撮りたいと思う」のところに社会規範バイアスがかけられているからだと思うので、これは親の教育やこれまでの環境に感謝です。ありがとうお父さんお母さん。よし。
 先の論点からちょっと外れるかもしれませんが、写真の撮影者に発生する芸術作品としての著作権ももちろんあるはずですよね。「日本写真著作権協会」という団体があるくらいですから。「写真著作権と肖像権」をめぐる法律的及び社会的議論の歴史はあって当然…というか、図書館での撮影許可の話題を考えるときにはリスペクト対象だよなあと思ったりもします。図書館的に資料に当たれば『スナップ写真のルールとマナー』(朝日新聞社 2007)なんて本もあります。この本、良いんですよ!(司書はそんな薦め方しない)
 撮影に肖像権が絡んできそうな色んなケースについて、Q&A方式で解説していく一冊なんですが、『図書館の自由に関する事例集』(日本図書館協会 2008)のような雰囲気がありつつも、この本は解説・回答の厳密さが低い(低く感じる)んです。法に則って…という側面があるテーマのはずなのに、Q&Aのアンサーが“開かれている”感じに私はすごく親近感を持ちました。もし未読でしたらお時間のある時にでも。

 一つ前に送った手紙とつながるのですが、生活の中で撮影とか車選びとかいろんな決断/判断があるのはもちろんのこと、「自分が決断するならこうありたい」みたいな想像はパーソナリティーの深いところにつながっていくような気がしています。…あれ?スピノザ先生こんにちは。
 文面が長くなってしまいました。ちょっと『エチカ』を読み返したくなってきたので、この手紙を出したら珈琲を淹れて、ゆっくり読んでこようと思います。寒い日にはKLIPPANのブランケットと登山用靴下がありがたい!(高)

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