
先月は、魚河岸シャツを着て図書館をうろうろしていた館長の話を書きました。今月は、タキシードのおじさんです。
8月のある朝、不思議な夢を見ました。
家族で東京へ引っ越そうとしている私は、忘れ物に気づいて一人で家へ戻ります。すると、50歳くらいの男性が、タキシードをぱりっと着こなし立っています。すでに亡くなった父方の叔父です。
おじさんは、私にビニール袋を差し出します。中には預金通帳が2冊、入っているようです。
夢の中の私は、「この人には昔、何か迷惑をかけられたような気がする」と思います。でも同時に、「悪い人ではなかったんだな」とも感じ、その奇妙な餞別をありがたく受け取ります。
さらに奇妙なのは翌日のことです。吉本ばななさんの新刊『短いこの人生でいちばん大事なもの』を読み始めたら、最初の作品「つかの間」に、「ビニール袋に入った通帳」が登場したのです。
なんじゃ、これは。
偶然といえば偶然。でも、こういう偶然は大好物です。
叔父のことを思い出しました。生真面目な父に比べると調子がよく、ちょっと逸脱したところのある人でした。子どもの私に「〇〇大学に入ったら腕時計を買ってやる」などと言って、実際に入ったのに結局買ってくれなかった。まあ、そんなおじさんです。
親と、おじ・おばは違います。
親には子どもを育てる責任があります。学校の先生にも、組織の上司にも、それぞれ達成すべき目標があります。「こっちへ行った方がいい」「これは覚えた方がいい」と言わなければならないこともあるでしょう。
でも、おじ・おばは、もう少し無責任でいられる。
「こんな本、面白かったよ。お前の気に入るかどうかは、知らんけど。」
「そっちの道もあるんじゃない?成功するかどうかは、知らんけど。」
そう言って、親なら渡さないようなものを、こっそり手渡すことができる。ただし、ときどき、あげると言ったくせに、手渡さないこともある。
考えてみれば、図書館もそんな場所ではないでしょうか。
学校のように「今日はこれを学びましょう」と言わない。職場のように「この成果を出してください」とも言わない。資格試験の勉強に来たのに漫画を読みふけっても叱られない。
そこで何を学ぶかは、本人にも図書館員にも分からない。最初から「学ぼう」なんて思わなくてもいいのかもしれない。なにしろ、図書館法第2条には教養、調査研究だけでなく、レクリエーシヨンにも役立つことを目的とする施設と明記されていますからね。
その「分からなさ」から、あとになって「あれも学びだったのか」と気づくことがある。「レクリエーション」が、思いもよらずクリエーション(創造)につながることもある。ときどきですが。
だとすれば司書も、親や教師ではなく、「親戚のおじ・おば」くらいの距離に立つのがちょうどいい。
魚河岸シャツの館長も、タキシードのおじさんも、ずいぶん格好は違います。でも、どちらも「正しい道はこちらです」と高い所から指し示す感じではありません。
むしろ、ちょっと脇道に立っていて、こちらが通りかかると、何やら怪しいものを差し出すのです。
「これ、持っていく?」
図書館が手渡すものも、一見ただの本かもしれません。でも、その中には「自由、自由、自由」と書かれた見えない通帳が入っているのかも。
<『短いこの人生でいちばん大事なもの』という総タイトルは、RCサクセションの「自由」という曲のタイトルからお借りしました。この後に続くのは、もちろん! この言葉です。「それは俺の自由、自由、自由」。>前掲書あとがき
たまにはエプロンやブレザーを脱いで、あなたなりの自由を体現するコスプレをお試しあれ。その効果は…知らんけど。
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