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タイトル 猫の手は借りられますか〜図書館肉球譚〜

第56回 助太刀いたす、絵本の逆襲!

毎月、地元静岡の一乗寺という清明な気に満ちた古刹の本堂で、「一乗寺ロスカフェかけら」というイベントを開催しています。死や喪失(ロス)について、もっと気軽に語れる場がほしい——そう感じていた私は、今年から主催者のひとりに加わりました。9月には、初めて絵本の朗読をしてみました。朗読者は私自身です。用意した絵本は「くまとやまねこ」(湯本香樹実・文、酒井駒子・絵、河出書房新社刊)と「わすれられないおくりもの」(スーザン・バーレイ・文と絵、小川仁央・訳、評論社刊)の2冊。1冊読んでは、参加者が感じたことや考えたことを語り合うというシンプルな方法ですが、絵本の感想からそれぞれのロスへと自然に話が及び、みんなで聴き合うやさしい時間となりました。「絵本があることで話しやすかった」という声もいただきました。

翌月、ある自治体の図書館長さんと、リニューアル予定の図書館の児童コーナーについて打ち合わせていたときにこのエピソードを思い出し、お話してみました。とても興味を持たれたようで、詳しくお話しすることになりました。そして、思ったのです。すぐれた絵本や子どもの本を、児童コーナーだけのものにしておくのは、あまりにも惜しい。その図書館の場合は、コレクションの半分以上を児童書にしたいということだったので、児童書を大人にも読んでもらうための作戦を考えましょう、と提案したのでした。

都市計画家として知られた延藤安弘(故人)は、住民参加による「まち育て」を重視し、自ら「まち育ての語り部」と名乗ることもあったそうです。全国各地で開催された「まち育て」のためのワークショップの冒頭では、しばしば関連するテーマの絵本のスライドを参加者に見せながら、語り聴かせました。その目的は、参加者に答えではなく問いを投げかけることにありました。参加者の対話を誘発するため、と言い換えてもよいでしょう。

確かにすぐれた絵本に接したときは、言葉でわかったつもりになっても絵をじっとみているうちにいろんな問いが浮かんできます。子どもとして読んだとき。自分の子どもに読み聞かせたとき。そして大人になってあらためて自分のために読んだ(読んでもらった)とき。同じ絵本であっても、それぞれ違う問いを受け取ることでしょう。大人の読者としては、普段読む文字主体の本に比べると言葉の余白が多いからこそ、読む側の頭や心からいろんな言葉が引き出されるかもしれません。「あれは子どもの本だから」とばかり、その存在すら忘れていた大人たちへの、絵本の“逆襲”です。多くの絵本を長年にわたって所蔵する図書館にこそ、逆襲が可能かもしれません。

子どものためにつくられた絵本を大人が読むと、読み手の幼心(おさなごころ)が刺激されます。深層心理学の知見を踏まえるなら、この刺激には魂の老化を遅らせ、成熟に向かわせる効果がありそうです。そう考えると、図書館が子どものコーナーと大人のコーナーを境界線で区切ってしまうのはもったいないことです。お互いに越境できる、いや、越境したくなるようなしかけをつくる工夫には、図書館ならではの豊かな可能性が秘められていると思うのです。

挿絵1
※挿絵はクリックで拡大します。

まずは、大人のために選んだ絵本の特集展示、朗読会、読書会などを企んでみませんか?これぞ絵本の逆襲への最強の助太刀です。ぜひ、お試しあれ。

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