7月上旬、鹿児島の南方にある屋久島を訪れました。今年刊行された『リジェネラティブ・リーダーシップ』(英治出版)のクラウドファンディングの返礼として、2泊3日のリトリートに参加するためです。豊かな自然の中でゆったり過ごすはずでしたが、屋久島空港に集合する前に障害が立ち塞がりました。火山灰の影響で、鹿児島から屋久島への飛行機が欠航となったのです。
情報が錯綜し、孤立した状態で心細くなった私はキャンセルも考えましたが、結局、高速船に切り替えることにしました。振り返ればこのような成り行き自体が、自然との共生や再生を重視するリジェネラティブな視点を体感する機会だったように思います。
そもそもリジェネラティブなリーダーとは、組織や生態系の生命力を育む存在です。訳者の小林泰紘さんは、「受け取る以上に育む、生き方や導き方」とも表現していますが、その意味を頭だけで理解するのは困難です。森や川を体感しつつ自然とつながり、他の参加者や自分自身との対話を繰り返した旅の後半、大木に寄りかかってまどろんでいたときでしょうか。私の心に静かに降りてきた言葉があります──「とどこおりをほぐす者」。私にとってのリジェネラティブ・リーダーはそれだ、と確信しました。旅の不確実さを受け容れ、自然や他者や自分自身とつながったからこそたどり着いたのかもしれません。
滞在先の宿「アペルイ」には、生命の循環の思想が息づいていました。たとえば、宿泊客の排泄物をEM菌で処理し、畑の肥料にして、その野菜を再び食卓へ。エアコンどころか網戸もない客室を、エアコンにはつくれない気持ちよい風が通り抜け、窓から時折入り込む虫すら気にならなくなります。
宿に並ぶ本の中に、屋久島に移住して農業を営みつつ詩作を続けた山尾三省(やまおさんせい、故人)の著作を見つけました。小林さんも三省の言葉から大きな影響を受けたそうです。リトリート終了後に他の参加者と連れ立って三省の旧宅を訪問し、ゆかりのある方々と会うことができました。最後に会った方は、高速船が発着するターミナルのすぐ横でカフェを開いておられました。多くの島民が図書館の開設を望み建設計画もあったけど、移動図書館が実現したところで頓挫したとのことでした。私が図書館づくりを仕事にしていることを伝え、「何かお役に立つことができれば...」と話しながら、「火山灰は、詩人の魂のはからいだったのかも」と思わずにはいられませんでした。
物質の循環は、生命の循環のすべてではありません。人間にとっては、知の循環も大切であり、図書館はその媒介装置の一つです。山尾三省の本は、書店で見つけにくくても図書館にはあるでしょう。今を生きる私たちも、本を開くことで死者との静かな対話ができるのです。
循環があれば必ずどこかに停滞(とどこおり)が生じます。司書は、そんな「とどこおり」をほぐす者。図書館にも、リジェネラティブなリーダーシップが息づいているのです。たとえば、郷土資料のコーナーの棚で何年も利用されないまま眠っている本たちだって、その本を必要とする人の手に渡る、すなわち「循環する」のを待っているのでは? 特集展示やSNSで紹介するもよし、ウィキペディアの参考資料として役立てるもよし。知のとどこおりも、きっとほぐせます。ぜひ、お試しあれ。
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