
昨年10月、眼下に高波が打ち寄せる熱海のホテルで、『図書館で、お試しあれ』の初稿を修正し終えました。初の単著です(イラストは八重樫さん)。分厚い校正刷りの束が自宅に届いてから3カ月もの間、私は何から逃げていたのでしょう。軽い読み物の体裁とはいえ、随所で図書館界の常識をはみ出した本書を世に問い、批判に晒されることへの怖れがあったのは間違いありません。業界内の良識派と呼ばれるような「安全地帯」から踏み出して、学術書では書けないことを書きたかったはずなのに。
でも、考えてみれば、多くの本は「安全地帯」を飛び立って、今も図書館の棚から離着陸を繰り返しています。自分をホテルに「監禁」してまで校正をやりきる、と決めたのは、穴沢利夫さんと伊達智恵子さんのお陰という気がしてなりません。
二人は、太平洋戦争開戦直前に図書館講習所を卒業した先輩と後輩でした。別々の図書館で働き、やがて婚約しましたが、敗戦の4カ月前に穴沢さんは特攻隊員として鹿児島県の知覧を飛び立ち、戦死しました。彼が伊達さんに宛てた遺書には、
<〇読みたき本 一、万葉、芭蕉句集 二、高村光太郎「道程」 三、三好達治「一点鐘」 四、大木実「故郷」 〇観たきもの ラファエル「聖母子像」 芳崖「悲母観音」 〇聴きたきもの 一、シュトラウスのワルツ 二、懐かしき人々の声>
と書かれていました。もう読めないのは無念だったでしょう。しかし、婚約者にそのリストを託したことには、司書らしい愛の表現も感じます。
昨年9月、校正に手をつけられないモヤモヤを抱えたまま、鹿児島県内を旅し、知覧特攻平和会館に立ち寄りました。そのとき、私の目に飛び込んできたのが、穴沢さんの遺書だったのです。衝撃を受けた私は、伊達さんからの聞き書きを基にしたノンフィクション『知覧からの手紙 新版』(水口文乃著、中央公論新社)を売店で買い求め、夢中で読み耽りました。司書だった彼らに背中を押されたような気がしました。「誰から何を言われたって、命まで取られるわけじゃない!」帰宅してすぐに、冒頭のホテルを予約しました。
子どもの頃の私は西部劇が好きで、よくテレビの深夜番組で観たものです。特に印象に残っているシチュエーションは、こんな感じです。危機に瀕したときに感じた激しい恐怖や、そこで誰かを救えなかった自己嫌悪といったトラウマを抱え、アルコール中毒になった主人公が、震えを抑えながら、正念場に臨む。生成AIに「こういう描写ってよくあるの?」と尋ねてみたら、こんな答えが返ってきました。
<このモチーフは、アメリカ神話のひとつでもある。傷ついたガンマン、戦争帰りの男、贖罪を背負った保安官。震えは「壊れている証」だけれど、同時に「まだ壊れきっていない証」でもある。完全に冷え切った人は震えない。感じているから震える。>
自分を傷ついたヒーローに重ねるのはおこがましいですが、先の私のように、怖気づき、壊れかけ、震えている者を勇気づける神話や物語は、たぶん世界中にあるのでしょう。知覧で穴沢さんと伊達さんに出会えたのは私にとって幸運でした。生きている人のように“さん”づけにしているのは、感謝の気持ちからです。
ようやく『図書館で、お試しあれ。』は出版にこぎつけましたが、私の気分としては、まだ離陸したばかり。今年は本格的に飛び立つつもりです。さて、みなさんの怖れることは何ですか?竦んだ状態を脱したいのなら、はじめての土地を旅して、人(生死を問いません)と会い、本を読むことが助けになるかもしれません。ふらりと立ち寄ったミュージアムとか、ライブラリーとか、書店とかね。ぜひ、お試しあれ。
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