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タイトル 猫の手は借りられますか〜図書館肉球譚〜

第43回 全集の巨人

<その日人類は思い出した ヤツら(新刊書)に支配されていた恐怖を… 鳥籠(開架フロア)の中に囚われていた屈辱を...>諌山創『進撃の巨人 1』集英社より。()内は筆者の妄想です。

その日とは、「全集」という名の巨人に出会った日。

この数週間、市立図書館で借りた『上山春平著作集』の第8巻を読んで、心底、震え上がっています。上山は戦後日本を代表する哲学者の一人ですが、二十歳前後で精神的危機に陥り、何度か自殺をはかりました。この巻には、彼が千年以上前の修行僧に倣い、毎朝暗いうちから山林に分け入って何時間も呪文を唱え、1年ほどで危機を脱したという凄まじい話が載っています。偉人の業績を読み解くのに欠かせない人間臭いエピソードを詳しく知ることができたのは、単行本未収録の講演記録やエッセイが掲載されていたおかげです。

挿絵
※挿絵はクリックで拡大します。

やっぱり全集はすごい。「知の巨人」と呼ばれるような人々の解像度が爆上がりします!なんだかハンジ・ゾエ(『進撃の巨人』の登場人物で探究心の塊)みたいな言い草ですが。

私が全集、とりわけ個人全集に魅入られたのは中学生の頃です。

小学生の頃から全集なるものの存在は知っていましたが、それは日本文学全集、世界文学全集など、「これぞ正統派のチョイス!」という権威的な匂いがするものでした。たとえば、親が子供向けの日本文学全集を買ってくれました。ありがたくはあったけど、実際に私が読んだのは小泉八雲の『怪談』だけだったのです。図書館に潜む、個人全集と呼ばれる巨人たちこそが、少年時代の私の偏った嗜好を満たしてくれる存在でした。

巨人たちとの逢引は、大抵、市立図書館の片隅でした。横溝正史、夢野久作、久生十蘭、小栗虫太郎、稲垣足穂、ラディゲ、スタンダール…なぜ、個人全集がそんなによかったのか、振り返ってみると、次のような理由が思い浮かびます。

1.分厚い紙の軍団の隊列から、お気に入りの巨人の気配が最も濃厚に感じられる。
2.彼らが潜む砦は通常、図書館の隅なので、その場に佇んだまま他人に邪魔されずに読める。
3.彼らの衣装が地味な分、頁を開いたときの効果が劇的である。
4.月報、解題を含め、ごく短い文章も載っていて、疲れたらそれらを読むと気が紛れる

当時は自分もお気に入りの巨人の個人全集を持ちたいと思ったものですが、今は違います。長期間にわたって同じ巨人と寝起きするのは、私の移り気な性分に合わないのです。図書館を訪ね、その時々にいちばん会いたい巨人との逢瀬を愉しみ、気に入ればその重さをぼやきつつ借り出す。これがお互いにとって最良の関係のようです。

あまり貸出が伸びない個人全集を開架フロアから締め出して、閉架書庫に追いやるというのが最近の流行です。私も、スペースが限られているときはやむを得ないと思います。しかし、十分な開架フロアか開架書庫が確保できるなら、せめて人気の少ないところにでも個人全集を配置したいものです。やつら(新刊書)に支配された、明るすぎる図書館に飽き足らない人々がその存在に気づき、辿り着くことができるように。

どうぞ、お勤め先の図書館で、お試しあれ。

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