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タイトル ライブラリアン・ラプソディ

07 「エリンギのジョン」と「竹輪のハラキリ」

 「エリンギのジョン」とは、「浮世離れしていること」の例え、はたまたエリンギを背負って走り回る陽気な名犬ジョンのこと(友人Mは人生初の飼い犬の名が「ジョン」であったことから犬全般をジョンと呼ぶ)かと思いきや、本日のお弁当のメニューである。エリンギはご承知のとおりコリコリした歯ごたえが特徴的なキノコの一種。そしてジョンとは代表的な朝鮮料理のことで、肉や魚、野菜などに小麦粉や米粉をまぶして焼いたもの、チヂミのことである(全国調理師養成施設協会編『総合調理用語辞典』参照)。つまり、エリンギのジョンとはエリンギに小麦粉などの生地をまぶして焼いた料理のこと。う~ん、「エリンギのジョン」の正体が分かったにも関わらず、名犬ジョンの姿が真っ先に浮かぶのはなぜ?

 「竹輪の肉詰め」こちらもお弁当メニューであるが、「いかたまらん」とならぶ暴力的なレシピの一つである(と思う!)。まずは「いかたまらん」の解説から。「いか」は海生軟体動物の烏賊のこと、たまらんの「らん」はキジ科に属する鳥類の一種である鶏の卵のことで、とんちの効いた商品名である(たぶん)。この製品は、烏賊に半熟状態の卵を丸ごと詰め込み、しっとり柔らかいイカと半熟卵のまろやかな味わいを堪能できる、まさに、“イカ”と“タマゴ”の奇跡のコラボレーション的逸品である。が、烏賊と卵!?それぞれの気持ちを慮るとなんとも複雑である。動物界に属するということ以外なんの共通点もない両者、海の生き物である軟体動物門に属するイカの腹の中に、陸の生き物である脊索(せきさく)動物門のニワトリの卵が無理やり詰め込まれた状態、ナンセンスじゃないだろうか。ちょっと鳥肌ものである(と思うのは私だけ!?)。この世の不条理を表現した一品といえるかもしれない。

 さて、竹輪レシピは数知れず、どうしてこの料理が誕生したのか不思議な「竹輪の肉詰め」。その名の通り魚肉のすり身を竹棒に巻き付けるという製法により、真ん中に穴が開いている竹輪。想像してみよう、それほど大きくない竹輪の輪つまり穴である細い隙間に、ひき肉を詰め込んだのが「竹輪の肉詰め」の正体である。そんな細い穴に乱暴に肉を詰め込まなくてもいいのでは?と思わずにはいられない。結果的に、詰めきれなかった肉のせい?で、竹輪はその胴体!?を斜めに切り裂かれ、見るも無残な痛々しい姿となった「竹輪のハラキリ」、正確には「竹輪のハラキラレ」的一品なのである。肉が詰められハラを切られた竹輪にそっとかかるあんかけに少しだけホッとしながらも無情を思わずにはいられないのである。

挿絵
※挿絵はクリックで拡大します。

 「新しい料理の発見は、新しい星の発見よりも人類を幸福にする。」と言ったのは、『美味礼讃』の著者ブリア=サヴァランだが、神経人類学者であるジョン・アレンによって書かれた食文化のエッセイ『美食のサピエンス史』の中で、「私たちは脳で食べている」との一説が印象的である。ヒトにとって「食べる」とは、摂取や消化だけの話にとどまらず、そこには意思決定と選択があり、脳の発達した神経経路・神経ネットワークと、身の回りの文化的環境によって形成されるというものである。また、味の知覚は分子生理学的には味覚受容体と嗅覚受容体がコンビで活性化されることによって生まれるが、歴史や文化、あるいはイデオロギーもが「味覚」を決定する重要な要因であるとし、「食べる」という行為がいかに複雑で重層的で想像的であるかがうかがえる。だから、「エリンギのジョン」も「竹輪のハラキリ」も私たちの感情を揺さぶるのである。もし同じ日のお弁当にこの二つが並んで入っていたら、心が混乱して純粋にランチを楽しむことはできないよなぁ。「感情トッ散らかり弁当」とでも命名しよう。

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