毎月3回発行される『日蓮宗新聞』(日蓮宗新聞社)は、日蓮宗唯一の機関紙である。法華経・日蓮聖人の教えを広め、人々が安心できる社会の実現を目的として発行され、教団に関するニュースや信仰する人たちの様子などが掲載される。この中の企画、教団のメインキャラクター‘こぞうくん’が毎度登場する「まちがいさがし」の難易度はかなり高い。二つの絵から4つの間違いを見つけるのだが、気分転換に!と軽い気持ちで始めるも、「本気でやらないとまちがいが見つけられない!」と、もはや気分転換にはならないと同僚の間ではもっぱらの評判である。
さて、出版される本にも間違いがある。無論、いっけん間違いなど存在しないかのように思われる(そう思いたい読み手側の思いも含め)事典類もしかり。‘人間だもの、ミスだってするさ!’とは言え、やはり間違いは極力避けたいのも人の性。
『日本の生死観大全書』(四季社、2007)、六無斎こと「林子平(はやし しへい) 1748-1793」の項目を見てみよう。まずここで早くも間違いを発見!子平の生誕年1748年との記述、しかし子平の生誕年はこれより10年はやい元文3年、1738年(JapanKnowledge Lib『日本大百科全書』等参照)。さらに、子平の記述で重大な間違いを犯している。『海国兵談』が『開国兵談』と記されていること。これは子平の人生を全否定しているような由々しき事態である。仙台藩士であった子平は、文武双方を唱え、自らも蝦夷や長崎を行脚し、長崎や江戸で多くを学び、外敵から日本の国土を守るための兵学・兵術を記したのが『海国兵談』である。「江戸の日本橋から唐、オランダまで堺なしの水路なり」との状況を踏まえ海防を訴えたが、幕府の言論統制令にかかり、版木も没収され、蟄居処分となったのである。命を懸けて記した書が、あたかも開国を促すための兵法書とも受け取られかねない書名の間違いに、心中穏やかではいられない。もうちょっと子平を大事にしてくださいよ!
次に『日本の野菜文化史事典』(八坂書房 , 2013)、「サツマイモ(カンショ)」の記述から。サツマイモは紀元前3000年以前にメキシコやグアテマラ地域で作物化され、日本には慶長11年(1606年)に中国福建省から沖縄に持ち込まれたのが最初とのこと。その後九州、長崎で普及し、関東では1735年サツマイモの栽培法などを記した『蕃薯考』を青木敦書(あつのり)が記したと書かれている。さて、ここで『国書総目録』の「ばんしょこう」を引いてみよう。『国書総目録』は、国初から明治維新(慶応三年)までに、日本人が国内で著作し、編纂し、翻訳した一切の図書の書誌事項とその所在を採録した素晴らしい!総合的目録であるから、当然前述の『蕃薯考』の記載もある。該当すると思われる『薯』と『藷』の2種類の漢字違いの項目が3つ。まず池田武紀著の「薩摩名家遺稿雑集二」に入っている『蕃薯考』、次は文政6年に刊行された糸川某編によるこちらも『薯』の『蕃薯考』1冊。さらに成立年が享保20(1735)年・補明和6(1769)年『蕃藷考』(一巻補一巻一冊)、こちらは前述の「ばんしょこう」とも刊行年が一致、著者も青木敦書(昆陽)とあり、正しい書名は『藷』の『蕃藷考』であることが判明。恐るべし『国書総目録』!改めてその実力を実感。
念のため「国立国会図書館デジタルコレクション」で現物画像を確認すると、やはり『蕃藷考』だということがわかる。ちょっと混乱しちゃうわよね。しかし!である。『日本近世人名辞典』(吉川弘文館 , 2005)の「青木昆陽(あおき こんよう)」を見ると、ここでは『日本の野菜文化史事典』同様に「『蕃薯考』一巻を著わした」との記述、『日本の野菜文化史事典』はこれを参考にしたのかな?と思われるのである。
ふう~、一件落着!だよね?
辞書の旅は尽きないものよ、間違い探しもまたいとおかし。それでも辞書の辞書たる風格に惹かれるのである。だから、それでもやっぱり辞書が好き。
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