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タイトル ライブラリアン・ラプソディ

41 仏教♡数珠つなぎ

 私の勤める大学には「禅のこころ」なる授業がある。道元を宗祖とする禅系宗派の一つである曹洞宗の大学のため「禅のこころ」は必修科目、この単位を取らないと卒業できない。学内には坐禅堂もあり、「何の意義も考えず、何の目的も求めず、悟りすら求めず、無条件で、ただひたすら坐禅する」ことを意味する「只管打坐(しかんたざ)」を実践する。この坐禅堂は図書館と隣接しているので、窓の隙間からその様子を垣間見ることができる。壁に向かって禅を組む学生、まさに「無」を体感する貴重な時間、しかしここ数年はコロナ禍のため「禅のこころ」もリモート授業だったとか。リモートで「禅」……、でもどこか哲学的な感じもするんじゃない?

 「おまえも死ぬぞ」とはお寺の掲示版の文言、なるほどその通り! 掲示板は仏教に関心を持ってもらうための布教活動の一つで、100年以上の歴史があるらしい。自分もいつかは死ぬべき存在であるということを日頃私たちは忘れてしまいがちと『お寺の掲示板』(江田智昭著 新潮社 2019)の著者で、浄土真宗本願寺派の僧侶である江田智昭さんは言う。2018年に始まった「輝け!お寺の掲示板大賞」は、掲示板の写真をSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のツイッターやインスタグラムに投稿し、メッセージの有難さやインパクトなどによって賞を決めるという企画で、前述の文言は2018年大賞に輝いた作品。当前のことだけれど、かなりのインパクト、いかに「生きている」ことに無自覚かを思い知る。私のお気に入りは、「NOご先祖, NO LIFE」、オフコース! でもしみじみ感じ入る文言である。

 仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる
 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ
 運慶は、鎌倉時代に活躍した天才仏師、『荒仏師 運慶』(梓澤要著 新潮社 2018)はその運慶の数奇な運命を描いた歴史小説である。目に見えぬ真に大事なもの、真に気高いものを追究し、目には見えぬ姿かたちのない仏をひたすら彫り続けた運慶。同じ奈良仏師である快慶との対立、東大寺南大門の金剛力士像を69日間で完成させた偉業は、闘いと苦悩の連続から生み出されたもの、800年の時を超えて、荒ぶる運慶の息遣いや体温を感じさせるものである。

挿絵1
※挿絵はクリックで拡大します。

 『気になる仏教語辞典』(麻田弘潤著 誠文堂新光社 2018)は、楽しく仏教の知識が得られる優れもの。「スティーブ・ジョブズ」が登場し、「1955-2011年。アップル創業者。仏教の影響を受けていて、曹洞宗の乙川弘文に師事し禅を学んだ。」とあり、その影響は製品づくりにも及んでいるという。なるほど!である。また「御朱印」には、「神社仏閣に参拝の証としてもらう印と墨書きのことをいう」とあって、「中川政七商店の御朱印帳はとてもおしゃれ」とも。イエス!だって私も鹿模様の布表紙の御朱印帳愛用してるも~ん。しかし現在中川政七商店では御朱印帳は作っていない模様、残念!
 
 震災後、被災地に建てられた供養塔などの下、土の部分に埋めるための「般若心経」の写経をしていた時期がある。一日一写経を目標に始めるも、とたんに洗濯物が気になったり、部屋の散かりに気を取られたりと、精神統一がままならない。結局「無」を邪魔するものは「我」であることを痛感、トホホ。
 「般若心経」は大乗経典の中で最も短く、もっともポピュラーなもの、そこで説かれているのは、「すべてのものには実態がない空(くう)」という教えとは、みうらじゅんの『アウトドア般若心経』(みうらじゅん著 幻冬舎 2007)の冒頭である。これは、「般若心経」を写経ならぬ、写真経すべく、般若心経の278文字(題名を含む)を、街へ出て看板からそれらの文字を探し、一文字ずつ写真に収めるという突拍子もない行為の結果の一冊である。文字を探して全国行脚から得た境地とは、「悩みから逃れたいのなら、自分を捨てよ」、みうらじゅんからのメッセージである。
 仏教も肩肘張らずに楽しみながら学んでほしい、図書館員から学生へのささやかなメッセージである。


参考資料:
『図説 比べてわかる! 日本の仏教宗派:宗祖・教えから仏事作法まで』永田美穂監修、PHP研究所 2012

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