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タイトル ライブラリアン・ラプソディ

36 おいしい記憶

挿絵1
※挿絵はクリックで拡大します。

 「焼いた山羊のチーズのシガーロール」はスティック状の生地に山羊のチーズを巻いた細長い春巻きのような見た目、外はパリパリ、中は濃厚なチーズが癖になるに違いない。それから「鱈のコンフィ、レインボーチャード(茎の色が鮮やかな葉物野菜)のグラタン添え」は彩り豊かな一品、鱈の繊細な味にグラタンのしっかりした塩気がきっと絶妙なはず。と、これらの料理を自分で作るかと言われればきっとノンだけど、このレシピを考案したレイチェル・クーから目が離せない。彼女の作るお料理は、彼女が訪れた世界各国で味わった地元の料理を、レイチェル流にアレンジしたもの。その料理の魅力もさることながら、レイチェルの魅力のとりこなのですよ。茶目っ気たっぷりなしゃべりと、時におおざっぱな調理法が彼女の魅力、可愛いワンピースをサラッと着ちゃうところもチャーミング。『レイチェル・クーのキッチンノートおいしい旅レシピ』を開くだけで幸せな気分になっちゃうの。

 ベジタリアンじゃない私が、ベジタリアンのための料理教室に通っていた時期がある。オーストラリア出身の女性が主催する教室、モデルをしていただけあって長身で、カウンターもシンクもすべて私のサイズには合わずちょっと苦労したけど。とにかく、楽しかったのだ。おしゃべりに美味しいお料理とワイン。あの時の私は、何かに癒されたかったのだなと後になって気が付いた。その時のレシピも一切覚えていないという情けない状況だが、あの時間が一週間の中で一番キラキラしていたことは間違いない。教室で一緒だったメンバーとも先生とも疎遠になり、あの時間が本当に現実だったのか?と思えてくる。

 料理研究家が誕生したのも、「主婦」という言葉が生まれたのも明治時代である。料理研究家とは、家庭料理のレシピの考案やそれらを教える専門家のこと。いっぽう「主婦」は、当初は使用人を監視する女主人を意味したが、産業化、工業化が進んだ大正から昭和初期にかけて、都市部に中間層のサラリーマンが増え、その妻たちは自らが台所に立った。彼女たちが支持したのが『主婦之友』(1917年創刊)、これによって主婦という言葉が一般化した。そして迷える主婦たちの救世主となったのが、その時代のニーズにフィットした料理研究家たちだったのである。

 私が敬愛する小林カツ代は、多忙で様々な矛盾を抱えた女性に寄り添った料理研究家である。仕事を持つ女性層が拡大した1980年代、時短料理を提唱し、完璧でなくてもいい「だれもが作れて、肩ひじ張らないで楽しく作れて、そして失敗がないもの」という革命的な調理法を提案した。少なめの油を使う揚げ物類、フライパンで作る煮物、青菜など茹でるというひと手間は省いても大丈夫!と、料理のハードルをどんどん除いていった。その代表的な料理がフライパンで作る“肉じゃが”である。
 『小林カツ代の永久不滅レシピ101』にはトップバッターで登場する。私もちょっと敬遠しがちな料理。見た目も華やかじゃないし、メインになりにくいし。でも日本人だもの、肉じゃがぐらいマスターしなければ!と、カツ代さんのお知恵を拝借。ジャガイモ、玉ねぎ、薄切り牛肉を切り、玉ねぎをフライパンで炒めて火が通ったら、その中央に牛肉を投入。調味料を入れて、そのあと水とジャガイモを追加、10分ほど煮れば、はい完成!失敗知らずの優れもの、材料を切りさえすればあとはモーマンタイなのですよ。やったー!
 
 石牟礼道子のエッセイ『食べごしらえ おままごと』を読むと、食べる、作るという行為が神聖なことに思える。彼女の父が作った「ぶえんずし」、母が蓬を山へ採りに行き、それを煮て作る「蓬餅」、これらの一連の作業も味もその記憶は、心の帰る場所でもある。作る、食べる風景が変わっても心の帰る場所は変わらない。スキップしながら帰る道、気持ちを持て余しながら帰る道、色々な道の先にある場所を時々訪れながら、また明日は始まる。


参考文献:
  • 『小林カツ代と栗原はるみ:料理研究家とその時代』阿古真理著 新潮社、2015
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