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タイトル ライブラリアン・ラプソディ

34 もっと、Motto!

 もっともっとと、心をさだめて一歩ずつ進む。どんな場面においても容易なことではない。この容易でないことを40年もの間続けている団体がある。それは「もっと仙台に図書館をつくる会」。その歩みは、文庫活動から始まり、図書館運動へと発展する。これは、民主主義を自らのものとする運動であり、根底にあるのは戦争への反省と平和への希求であった。この動きは日本全国に見られ、当時文庫を始めたのは‘母’である女性が大半であったが、背景には女性たちの社会問題への意識の高まりと、自己の存在を確認するためあるいは女性の社会進出の形態の一つとしても機能していた。

 「仙台にもっと図書館をつくる会」(以下、もっとの会)は1982年4月に発足。この「もっとの会」の母体となったのは、「仙台手をつなぐ文庫の会」であった。個々の文庫活動の交流の場や文庫の抱える問題を共有するため、また文庫活動を通しての様々な勉強の機会の必要性などから生まれた組織である。そして、文庫活動を展開する過程で二つの方向性へと向かうのである。第一に図書館行政そのものの改善と充実を行政側に要求する住民運動への展開、第二に文庫活動をしていく上で必要な専門知識や読書指導を学習する社会教育活動への参加である。こうして「図書館は文庫だけの問題ではない」との声があがり、「もっとの会」は産声をあげる。

 「もっとの会」の活動の3本柱は、行政への働きかけと学習、市民への広報、会報「MOTTO」づくりである。1988年「仙台市図書館整備基本計画」が公開されるが、その際「もっとの会」で作った図書館構想が一部採用、また継続的に行政への要望書・公開質問状・提言書の提出など、図書館行政に与えた影響は大きい。

 もっとの会設立の前年の1981年には、全国各地の文庫数はなんと4,406(『年報子ども図書館 1981年版』(日本図書館協会1981)より)にのぼり、日本独自の文化的活動は一過性のものではなく広範囲で定着していく。
 なぜ文庫だったのか?まず1970年代始め、全国の約30%の市が図書館未設置、また町村の約90%が図書館を持たないという図書館サービスの遅れに加え、テレビの普及や文化的環境の劣悪化、児童書価格の高騰など、子どもの読書環境の悪化にあった。また急激な都市化による公害問題や消費者問題など、生活に直結する様々な社会問題に対して、女性自身がそれらを自らの問題ととらえ反対運動が盛んになったことを背景に、‘私’が主体性を持った地域社会の担い手となり得る存在だということに気が付いたのである。

挿絵1
※挿絵はクリックで拡大します。

 会報『MOTTO』の最新号は第173号(2023年3月16日発行)、総会記念行事「絵本で知る図書館」の開催のお知らせや、南三陸町図書館の見学会の感想に加え、仙台市では現在も実施されていない赤ちゃんに本を送るブックスタート事業を「もっとの会」で提案していこうという内容(政令指定都市の約70%が実施)、3本柱はしっかりと生きている。正規雇用の司書の採用への要求、いまだ実現されていない中央館の設置や中学校区に一つの分館をという要求を丁寧に地道に、情熱をもって続けている。「図書館運動は100年戦争」と言われるが、平和のための戦いはなんと険しいことか。あきらめず、流されず、高い理想をうたい、忍耐力をもってしぶとく努力する、その精神性に図書館界に身をおく私としては感服せずにはいられないのである。

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