私の手元にある『かえるのごほうび』は、「鳥獣戯画」に登場する擬人化されたメインキャラクターの猿、蛙、うさぎが生き生きと動き回る絵に、詞書(ことばがき)を挿入した絵本である。絵本の底本である「鳥獣戯画」は、正確には国宝『紙本墨画鳥獣人物戯画』甲・乙・丙・丁、全四巻。いずれも彩色を施されておらず、詞書も一切もたない。京都栂尾の高山寺に伝わるこれらは、平時代後期から鎌倉時代にかけて描かれたもの、甲巻の「鳥獣戯画」は宮廷絵師が関与した可能性が高いとのことだが、絵師も何のために描かれたものかもはっきりしない、ちょっと謎めいた絵巻である。
謎めいていても、とにかく楽しい!相撲をとるうさぎと蛙、勝った蛙が嬉しいのは同然だが、投げ飛ばされたうさぎもなぜか嬉しそう。周りで応援するうさぎたちも実に表情豊かで微笑ましい。蛙も猿も滑稽で愉快、時間を忘れて眺めてしまう。同種の動物でなくても、こんなに仲良く楽しく過ごせるなんでユートピアじゃないかしら。
大東急記念文庫所蔵の『うさぎの大てがら』、『大東急記念文庫書目』によると、文学、国文の赤本に分類される江戸刊の一冊もの。赤本とは江戸時代中期頃、江戸で流行した絵がメインでそれに文を添えた木版刷りの娯楽的小説、いわゆる絵本である。表紙が丹色(にいろ)であることから赤本と言われている。「中むかし(昔)のことなりけり。かたいなか(片田舎)にじい(爺)とばあ(婆)く(暮)らしけり。」から始まる『うさぎの大てがら』は、爺と婆に悪さをした狸をうさぎがやっつけるという、「かちかち山」として知られている物語である。絵本に登場する狸とうさぎ、手足は筋肉隆々としてなんとも人間的、最後にたぬきの乗った泥の船を沈めるうさぎ、腰まではだけた着物から見えるその体はお相撲さんのように立派で躍動的。木舟には「うさぎの大てがら」と書かれたのぼりがはためいていて、悪者を征伐したうさぎがスター的構図で描かれている。人とうさぎの親和性を思わせる内容は、「因幡の素兎」から伝わるうさぎの神性と関係しているのかもしれない。
名月やうさぎのわたる諏訪の海
穏やかな諏訪湖(長野県)と月の情景がふわっと浮かび、心が洗われるような与謝蕪村の一句である。月夜の晩に、うさぎが気持ちよさそうに諏訪湖を駆けめぐる様子がうたわれているのかと思いきや、これは「月の光」が湖面の上にゆらいでいるそのさまを形容しているものらしい。月に住むといううさぎが、あたかも波の上を走るがごとく、湖面に映る月のゆらめきを表現しているということ、なんとも風流ではありませんか。〈波に兎〉のモチーフは、「波兎(はと)文様」として伝統的意匠として最も知られた兎図像の一つでもあって、17世紀前半につくられた初期伊万里の染付走兎文皿や狩野栄信『月に波兎図』などにも見られるもの。詩的で抒情的、人間の創造力のなんと豊かなことか。
ビアトリクス・ポター著『ピーターラビットのおはなし』(原題名:The Tale of Peter Rabbit.)の世界初の翻訳が日本であったとの事実は、児童文学研究者のみならず、ちょっとした驚きのニュースとして伝えられた(『読売新聞』2007年5月9日付夕刊)。『日本農業雑誌』第二巻第三号(明治39(1906)年11月)に掲載された「お伽小説悪戯な小兎」と題する絵入りの文章がそれである。松川二郎によって翻訳された「お伽小説悪戯な小兎」は、明治から大正にかけて投機目的で起きた兎飼育ブームの戒めとして、当時の人にとってはただ可愛いうさぎの物語としてだけではなく、「教訓物語」的だったのではないかとのこと、‘おかる’(「うさぎのはなし」(2021年9月)参照)の耳にはピーターラビットの物語はどう聞こえたのかな。
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