映画「ジュリー&ジュリア」を見ると、ワインとフレンチの濃いソース、それにチョコレートが恋しくなる。チキンのクリーム煮、牛肉の赤ワイン煮込み、カモ肉の骨抜きと魅惑的な料理がずらり。1961年に初版され、2001には第40版を重ねたジュリア・チャイルド著Mastering the Art of French Cooking、王道のフレンチ料理の524のレシピを365日で再現、それをブログにアップするという試みに挑戦したジュリーの実際のストーリーを映画化したものである。この中で登場する、チョコレートアーモンドケーキの甘い誘惑がたまらない。あ~、やっぱりあらがえない、チョコレートの魅惑はマジカルなのだ。
チョコレートの原料であるカカオは、BC2000年ごろの中米古代文明圏であるメソアメリカまで遡る。この頃カカオは自生していたとも、栽培されていたとも言われるが、長く貨幣としても使われていた。時代が下り1545年のメキシコの市場では、大きいトマト一個がカカオ一粒、野ウサギがカカオ100粒と交換されていたらしい。マヤ、アステカ文明の時代になると、カカオはココアに加工され、飲み物としても口にされるようになる。滋養強壮剤や薬として身体に有益、また神への捧げものでもあったカカオは、宗教、経済、身体にとオールマイティに活躍、まさに「テオブロマ・カカオ」(ギリシャ語でテオ=神、ブロマ=食べ物)、神々の食べ物であった。
ドレスデン国立絵画館で出会ったジャン・エティエンヌ・リオタールが1744-45年に描いた油絵「Chocolate girl」は、チョコレートの歴史の一端を垣間見せてくれる。お盆にのった高価な磁器のカップに入れられた飲むチョコレート、ココアを運ぶ使用人の女性は慎重にココアを運んでいるよう。当時貴重であったココアは、限られた身分のものだけが口にすることができた。ポルトガルの宮殿では「チョコラテイロ」と呼ばれる宮廷ココア担当官がいたとか。薬や滋養強壮、富の象徴としてココアが飲み物として消費された歴史は長く、一般化するのは19世紀~20世紀になってから。1847年になって初めて‘チョコレート界の四大発明’といわれる食べるチョコレートが誕生する。やっと会えたねチョコレート♡この幸運を喜ばないと!
さて、赤と白のパッケージの「キットカット」は、「Have a break」のキャッチコピー通り、おやつにぴったりのウエハースチョコレート。イギリスのロウントリー社が開発したこの「キットカット」(のちにネスレ社が買収)は、労働者が仕事の合間に食べやすく、すぐにカロリー補給ができるようにと開発されたものである。19世紀半ば、イギリスでは産業化、都市化が進み、工場労働者となるワーキング・クラスの貧困が社会問題となっていた。そんな中、ロウントリー社は家業のビジネスと社会貢献の両立を実現すべく様々な活動を行った。その一つ、ベンジャミン・シーボーム・ロウントリーによるヨークでのワーキング・クラスの生活調査をまとめたPoverty : A study of Town Life (London: Macmilan, 1901)は、日本でも『最低生活研究』(長沼弘毅訳 高山書院, 1943年)として翻訳され、現在でも社会学、社会福祉学、社会調査などの分野で高く評価されている研究である。
著書の中で、労働者の生活を4段階に分類し、人口における貧困の割合やクラスごとの生活形態、生活に必要な最低賃金の割出しを行った。また家族周期における「貧困のサイクル」という概念も導き出し、労働者の幸福を実現すべく老齢年金や成人教育、産業心理学の導入など福利厚生に生かしていったのである。これらはのちにイギリスの貧困政策にも影響を与えるものとなったが、まさにスイートなストーリーである。
日本人で初めてチョコレートを口にしたのは、17世紀伊達政宗の命によりヨーロッパへ渡った支倉(六右衛門)常長一行だったとの説がある。私の知人は、コーヒーを飲んだのも常長が初だったはず!との思いから「六右衛門コーヒー」を自家焙煎したつわものもいる。
コーヒーとチョコレートの組み合わせは最強。いや、ワインやブランデーにも合うよね。そうだ、いつかチョコレートソースを使った肉料理を作ろう!ジュリーの挑戦には及ばないけど、マジカルな挑戦になりそうなスイートな予感がするでしょ?
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