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タイトル ライブラリアン・ラプソディ

27 無限大と無力感のあいだ

挿絵1
※挿絵はクリックで拡大します。

人間が造った観念
自由 平等 平凡
中世の騎士道
欲望 残忍
極限の愛 罠 ブルジョア
エゴイズム シャンパン アリバイ
法的秩序
狡猾 肉体
陽のあたる場所

 秋田県出身の作家、石川達三の『青春の蹉跌』から抜き出した文言である。最後の一行だけは、主人公の心の叫びとして私が追加したものだけど。赤坂三好によって描かれた新潮文庫の朱を基調としたカバー絵には、倒れこむ人体と思しきものと、そのとなりには水たまりのような血痕のような影が浮かびあがり、ただならぬ雰囲気が伝わってくる。
 「蹉跌」、つまずくこと、失敗すること(広辞苑第七版)の意味。法学を学ぶ大学生の江藤賢一は、自身が思い描く成功のため人を見下し、裏切り打算的に人生を歩む。だがそれゆえに人を殺めてしまう。手に入るはずだった成功、思い通りになるはずだった未来、彼は何を思うのか。

 東北ゆかりの8人の作家の作品を舞踊で表現した舞台「洽(あまね)く光~東北のこころ2022」に、私が選んだのは前述の小説である。苦しみ、葛藤、苛立ち、そしてかすかに見えた希望、彼のこころのうちを3分の小品にまとめ、上記の文言の朗読とともに構成される。足先から感じるほのかな誘惑、成功を求める指先、怯えあえぐ表情、彼のこころの動きは、身体の変容として表現され、舞台全体を使う動きは、彼のこころの揺れに呼応している。でも誰かを、何かを表現することは無限大のようでいて、同時に本質には到底近づけないという無力感の間を行ったり来たりする。だから創作は、非日常的な濃密な時間でもある。
 
 尾形亀之助(宮城県出身)の『十二月』は、たった3行の詩。踊り手自らが、身体表現に合わせて詩を唱えるかたちで構成され、まるで一本のドラマを見たかのような後味を残す作品である。「紅を染めた夕やけ 風と雀 ガラスのよごれ」これだけの言葉を3分の舞踊世界に広げるという作業は、白いキャンバスにラインを引き、構図を決めて少しずつ色を重ねていくような作業である。尾形は前衛的な未来派の画家でもあった。「化粧」というタイトルの油絵は、パウル・クレーの作品を思わせる。
 
 『とんかつ』は青森県出身、三浦哲郎の短編である。彼は長編と短編小説を碁と将棋に例え、「碁は長編小説のように、広い戦場のあちこちにしかるべき布石をしておいて最後に網を引き絞るが、将棋の方は、一手々々が勝負で油断も隙もならないところが短編小説に似ている」と語っている。舞踊の小品もまさに一挙一動が勝負で油断も隙もならないところが短編小説のそれに似ている。
 
 そのほか、横光利一著『春は馬車に乗って』(福島県)、真壁仁著『峠』(山形県)、石川啄木著『一握りの砂』(岩手県)、草野心平著『河童と蛙』(福島県)、宮澤賢治の『春と修羅』(岩手県)が、東北文学のアンソロジーとして舞台化されたのである。

 「今日の公演も本になりますね」とは、公演に先立ち行われたトークセッションで、編集者・作家・エッセイストの土方正志さんが発した一言である。土方さんと国境なき劇団代表の八巻寿文さんは、東北文学は、ウェールズ文学やスコットランド文学といった言語圏による文学と親和性・共通性があり、東北という枠で文学を考えることは多くの可能性を秘めている、「深く掘れば泉が湧くような」ものだとのお話。舞踊×東北文学の可能性もきっと無限大。東北文学の特異性を舞踊で表現するには?やはり無限大と無力感のあいだをめぐる旅は続くようである。

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