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タイトル ライブラリアン・ラプソディ

22 Tapir

 静かな水の中に腰までひたる私。透明な水をのぞくと奇妙な生き物が2、3匹浮かんでいる。白と赤とピンクの鮮やかな色のコントラスト、雲のような形のその生き物はスライムのようにプカプカと水面に漂っている。「なんだろうこの生き物、気持ち悪いよぉ。」と、独り言ちる。

 マンダラ塗り絵に夢中になっていたころに見た夢、まさに夢の中の話である。あまりにも色鮮やかなその奇妙な生き物は、しばらく脳裏から離れず、その後夢の中で出会う三輪様(三輪明宏氏)の黄色の髪色と相まって不思議な後味を残した。
 マンダラとは、「自分とはなにか」「宇宙のどこにいるか」という人間の根源的な問いを探究する衝動からはぐくまれてきた円形の聖なる図形であるらしい。大きな円の中に、丸や三角、六角形などから形成される幾何学模様が描かれており、それらにくっきりはっきりと色を塗っていく。丁寧に、時間をかけて、自身と対話するようなそんな時間が流れていく。マンダラが象徴しているのは、人類と超越的な領域の、これ以上ない調和に満ちた一体化にほかならないという。自身が全体であり、個であるという感覚、なかなかの体験である。

挿絵1
※挿絵はクリックで拡大します。

 夢分析によると、「水に入る、もしくは水から出る」夢は、分娩あるいは出産を表す類型夢であるらしい。フロイトの著書『夢判断』にも、多くの英雄神話が、主人公が水から誕生する物語が多く存在することを指摘している。モーセの物語しかり、日本で言えば桃太郎や一寸法師も川の水によってもたらされ、そこから救われて成長し英雄となるのである。ということは、マンダラ塗り絵に(異常に!)集中したことにより、宇宙の神秘を垣間見たことで「生まれなおす」こと、あるいはその願望が芽生えて、人として進化したということか!?

 『週刊読書人』は、主に書評をメインとする専門紙で私たち図書館員の日常には欠かせない情報源の一つである。思想や文学、芸術や文化、読み物など扱う範囲も幅広い。その中の一つ、画家横尾忠則さんのコーナー「日常の向こう側ぼくの内側」は面白い。ぼくの内側というだけあって、よく夢の話が登場する。
 ある日の夢では高倉健さんに会う。そして‘今日はメディアの健さんではなく自然体の健さん。映画の役とメディアの健さんは不自然体。実態と虚像の背反を何も一体化する必要ないのになあ’と。‘実態と虚像の背反の一体化’、さすが横尾さん、鋭い視点!またある時は、「人間をロボット化する法律が出きて、自分の好みの形態に創造することになった。先ずモデルを絵に描く。立体化するときに瞼と眼球の造形が難しくて、苦労する」夢。現実になったら恐ろしい!でも、横尾さんがデザインしてくれるならそれはそれでいいかな。
 横尾さん曰く、夢を記述するのは無意識を顕在化させるため、そして創造は無意識と意識の共同作業でもあるからだという。なるほどなるほど、横尾さんの頭の中をのぞいているようで興味は尽きない。

 国書刊行会刊行、『夢』は夢に関するアンソロジーである。芥川龍之介の『死後』は、自分が死んだあとの家族の様子を描いたもの、カフカの『夢』は墓石に主人公自身の名が刻まれていく様子を墓穴に横たわりながら眺める話、渋澤龍彦の『夢ちがえ』は、一人の男性をめぐって夢をあやつる方法を比丘尼に聞き出す奇妙な話、どれも実際の夢のようである。編者の東雅夫氏が、「夢とは、人類にとって最も古く、そして最も身近な、一夜のエンターテインメントではあるまいか」というように、夜ごと繰り広げられるエンターテインメントと思うと、眠るのが待ち遠しい晩春の宵である。

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