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タイトル ライブラリアン・ラプソディ

14 うさぎのはなし

 『図書館雑誌』は、図書館界における最もメジャーな業界誌である。その歴史も古く、明治40(1907)年10月に日本図書館協会の前身である日本文庫協会から創刊。戦時体制下、一時中断を余儀なくされ1944年8月(通巻294号)に停止、戦後の1946年6月に復刊を果たし、図書館界の時事的特集や図書館をめぐるニュース、事例紹介などを取り上げ、私たち図書館員の大切な情報源の一つとなっている。

 さて、今年の『図書館雑誌』6月号の表紙には、しかめっ面の着物姿の男性が何やら着物を着た女性と思しき兎!?を責めている様子、それを止めに入った年若い半被姿の男性が登場する錦絵である。兎の足元には生まれたばかりの小兎が7、8匹、歌川小芳盛による戯画、つまり風刺画のようである。

だんな:をやをやをや いまになって
こんなに こてこてと うみ(産み)やぁがって だふ(どう)するきだよ
あとへもさきへも いきやぁ しねへは

とうふや:だんな そりゃ おめへさんが ごむり(無理)サ
わたくしのみ毛(三毛) おなじことで
ほどんと とうふ わてしました
しかし いまゝ(ま)では まめで おめでとうございましたが
こうなっては からきし しかたなしサ

おかる(兎):モシ おきゝ(聞き)なさいまし わたくしもさかり(盛)のじぶん(時分)には だんなもよし とうふやさんもいゝ(い)ように
あっちへとび こっちへとび おためになったものを いまさらわたしを す(捨)てるといふは そりぁ あんまりどうぬけな なさけ(情け)ない
そんなことは さらさといわずにくださいましよ

 明治初期の異様な兎ブームの模様を描いたもの、三者三様の心の内が垣間見える会話である。兎ブームの始まりは明治4年頃、明治維新後、西洋からの新しい文物の移入によって、外来のカイウサギ(飼兎)が珍重され、愛玩用として飼育されるようになる。次第にその需要の伸びに伴い、投機目的で飼育がおこなわれた。維新後の社会変革の中、秩禄処分※により一時的に手許金を余した華族や士族のお金を目当てに山師が仕掛けた一種の儲け話でもあったらしく、さらには相場変動との関連が強い「損料貸」(江戸時代、損料屋から衣類や・夜具・蒲団などを借り出し、その品を担保にして質屋から金を借りる行為)などの商人が兎投機の火付け役となり、一般市民にも広まり兎ブームは加熱する。

 さて、このような背景を知ると前述の明治6年12月に出版された『兎咄し』(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)の会話が俄然面白くなってくる。子兎がポコポコ生まれて「どうしようもない!」と嘆いている「だんな」、それもそのはずあまりの兎ブームを見かねた東京府は、明治6年12月「兎取締ノ儀」を布達、兎一匹につき一カ月1円の「兎税」を課し、子どもが生まれたり売買をする際には届出などが必要となったのである。

挿絵1
※挿絵はクリックで拡大します。

 仲裁に入った「とうふや」、兎の常食はオカラであったための登場人物であろう。あまりの兎人気にとうふよりもオカラの価格が高かったとか。需要と供給による価格の方程式は今も昔も変わらない。とうふやも当時人気の三毛の兎を飼っていたようで、やはり子が沢山産まれ「今となってはからきしダメだ」とボヤいている。
 子どもを産んで責め立てられている「おかる」さん、こちらも当時人気の外来種との掛け合わせでできた白に黒の斑文をもつ毛並みの「更紗」という種類の兎。だんなに捨てられる寸前、人間の都合により売り買いされ、「今さら私を捨てるなんてあまりだ!そんなこと言わないでくださいよ」との悲痛な訴えはだんなに届くか。頑張れ、おかる!

 このころ巷には兎ブームを背景にこのような「兎絵」なるものが数多く出まわったそうである。時代に翻弄される兎、『兎狸月下問答』の中で、「自分たちがもて囃され愛されるのは、才能ではなく色〈外見〉からのことで、衹王、衹女、常盤御前等が平清盛から受けた寵愛のようなものだから長くは続かない」と言うのである。兎の悲哀、‘月に願いを’兎もしたのかな。

※秩禄処分
明治九年(1876)明治政府が金禄公債証書の交付を代償として、華族・士族への秩禄支給を全廃した処置。

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