極寒の南極の大地。鎖につながれたまま置き去りにされた南極観測隊の樺太犬の兄弟、タローとジローが1年後に発見され救出された奇跡の物語。この2匹を描いた1984年公開の映画「南極物語」により彼らの存在は私たちの知るところとなる。しかし、私が思いをはせるのは、また別のタローとジローの物語。
歴史的出来事を象徴する作品、「ゲルニカ」と「崩れ落ちる兵士」。一つはピカソによる絵画、もう一方はキャパによる写真、どちらもスペイン戦争のイコンとして世界中の多く人の中に生きている。二つの作品、二人の男性、そしてタローとジロー。
「Life」誌に掲載され(正確には再掲載、最初は「Vu」に掲載)、世界に衝撃を与えた「崩れ落ちる兵士」は、丘を駆け降りる兵士が銃弾によって崩れ落ちる瞬間を捉えた一枚である。これは1930年代ヨーロッパにおけるファシズムの台頭に抗うスペイン戦争の最前線を知らしめたと同時に戦場カメラマンとしての‘ロバート・キャパ’が誕生した一枚だったと言えるだろう。しかし、この写真にはいくつかの疑惑がある。「兵士は狙撃されて倒れたのではなく演じたものではないか」、「キャパ本人が撮ったものなのか?」と。彼にはこの時同伴者がいた。彼女の名はTARO、ゲルダ・タロー(パリへ遊学中だった岡本太郎から命名)である。そう、このタローこそが「崩れ落ちる兵士」を撮影したのではないかというものである。タローは、当時ユダヤ人であることが生命の危機を意味したヨーロッパで、ユダヤ人として生き延びるために写真という手段によって、キャパの理解者として、恋人として、運命を共にする同志として時代を鮮明に映し出すことに成功する。
そして、写真のクレジットは、キャパとの共同作業としての‘フォト/キャパ’から、‘フォト/キャパ&タロー’、そして‘フォト/タロー’と、彼女の心情を代弁するかのように変化する。独立心の強いタローである。キャパの名声の後をついていく存在から解放され、一人のフォトジャーナリストとして自立できた喜びは計り知れない。もっと良い写真を、もっと戦闘の近くへ、もっと真実を世界へ。しかしその矢先、戦車の下敷きとなり志半ばでこの世を去るのである。
「ゲルニカ」は、ファシズム勢力によるスペイン、ゲルニカへの無差別爆撃への憎悪の表明としてピカソが描いた作品。魂の抜けたような闘牛の頭、殺された子どもを抱いて泣き叫ぶ女性、転がる屍。この作成過程を写真で記録したのは、「泣く女」のモデルでもあるピカソの恋人ドラ・マールである。しかしここに登場するのは、ドラの後にピカソの弟子となり、助手、恋人、そしてミューズとなった画家のフランソワーズ・ジローである。彼女は画家として高く評価され、現在も芸術家として活躍するが、ピカソのもとを去った唯一の女性である(ピカソはその生涯で何人もの女性がいた)。2019年彼女が97歳の時のインタビューで、「芸術家は自身にとって真実とは何かを追求するだけだ」、「芸術家であるために性の違いは関係するとは思えない」と語ったが、かつて「女性は2種類しかいない、女神か、ドアマットか」と言ったピカソの元を去ったことが、彼女が芸術家として成功した最大の英断だったと思えてくる。有能な男性の影になるか、自らが光となるか、才能ある女性の永遠のテーマである。
タローの物語を読んだ時、「あれっ、ピカソにもこんな名前の恋人がいたはず。タローはピカソの恋人でもあったのか?」と考えた。ところがピカソの恋人はジロー、「タローじゃなくてジローだったかー」というお話。長~い前置きで何を言いたいかというと、ライブラリアンはこういうことを存分に楽しめる人がむいていると思うのである。点から線、線から面と広がる世界観に至福を感じる資質。物事を結びつける嗅覚、再構築するスキルとひらめき。ライブラリアンのはてしない物語である。
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