ノストラダムスの予言シリーズのヒットにより一躍時の人となった五島勉氏。この背景には、彼がクリスチャンの家に生まれ育ったことが影響している。日本にロシア正教を伝導し、日本正教会の創設者でもあるニコライ大主教が函館で布教を始めたとき、最初の信者の一人が彼のおばあさんで、おばあさんから黙示録や予言の話が伝えられ、それらは彼の身近なものだったようである。このニコライ大主教、写真を見る限りノストラダムスを彷彿とさせる風貌なのだが、偶然の一致か?神のいたずらか?
さて、五島氏の職業人としてのスタートはルポライターで、『週刊新潮』や『女性自身』などで活躍。週刊誌はその名の通り週に1回刊行される形態で、1950年代は週刊誌の創刊が相次いだ。それまで週刊誌は新聞社系が全盛の時代、全国に張り巡らさた通信網や販売網を生かし、新聞記事をさらに追跡、誤報を修正し内容を組織化して提供するというスタンスであった。しかし、この牙城に切り込んだ初の出版社系週刊誌は新潮社の『週刊新潮』で、その後『週刊文春』や『女性自身』などが刊行された。時代は高度経済成長期の入口、女性の社会進出が進み女性の新しいモデル像が模索された時でもある。男性編集長による『女性自身』のコンセプトは、「女性が内にもっている‘男らしさ’に呼びかけること」であった。
『女性自身』から派生した『JJ』(『女性自身』の頭文字!)に代表されるように、女性ファッション誌はまさに女性の‘今’を映す鏡である。かつ読む雑誌によってその後のライフコースを暗示させるというから恐ろしい。キャー‼真夏の怪談話より怖くない?光文社の『JJ』は10代~20代前半の対象者層をかわきりに、年代ごとに『CLASSY』→『VERY』→『STORY』と継承され、それらの雑誌に貫かれるイデオロギーは、「高収入の夫と結婚し、優雅に趣味としての家事や仕事、消費を楽しめることが理想的」と女性学、ジェンダー論専門の小倉千加子の分析。さらに『負け犬の遠吠え』の酒井順子によれば、「勝ち犬を目指すなら光文社系の雑誌、もしくは婦人画報社系の雑誌を選ぶべき」とのこと、これはもうお告げである。今さらそんな事言われても、早く言ってよー‼
私が10代の頃の三種の神器は、『Olive』、『CUTiE』、『Mc Sister』。表紙を見るだけで震えるほど懐かしく愛おしいこれらの雑誌、当時私を支えていたのは確実にこの3誌であった。平凡出版社(現マガジンハウス)の『Olive』は、フレンチカジュアルをメインに、女の子が憧れる女の子像を体現し、音楽、映画、インテリアなど文化情報が満載、「赤木かん子のYA講座」からはマンガや本の教示を受けていた。宝島社の『CUTiE』は“for INDEPENDENT GIRLS”を標榜、ストリートファッションや古着ミックスなど個性的なコンテンツは私のバイブルとなった。また、『Olive』と『CUTiE』をソフトに繋いだのが、婦人画報社(現ハースト婦人画報社)の『Mc Sister』である。さすが婦人画報社!『Mc Sister』は『Olive』と『CUTiE』でバキバキに鍛えられた体にそっと糖質を流し込むような存在であった。小倉さんや酒井さんの見解の答え合わせをするならば、『CUTiE』で“INDEPENDENT GIRLS”を模倣していた時点ですでにアウト!さらに、『Olive』で染まったサブカルLOVEな体質は、もはや『Mc Sister』をもってしても‘勝ち犬’へと中和することはできなかったのである。The End....
閑話休題。ノストラダムスもなんと雑誌とは無縁ではなかったのである。彼は1550年頃から毎年アルマナック(年鑑)を出版しており、その内容は占星術的計算により月齢や二至二分、天気の長期予報など農作業に不可欠な情報や、季節ごとの美容や健康のアドバイスあるいは政治や戦争の動向、王侯貴族の行動予測までもが対象だった。アルマナックは毎年刊行される消耗品という性質上、いわゆる雑誌の原型だといえる。雑誌の「時世を読む」あるいは「先取りする」という属性が、五島氏とノストラダムスの運命を結んだのかもしれないと思う今日このごろである。
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