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タイトル Hidden Library,Invisible Librarian

11. 忙しい時こそ

「あの、論文を探しているんですけど」
「はい、どのような論文でしょうか」
「みんなで読む論文が、必要なんです」
「みんなで読む論文…ですか?」

司書の頭の中は、「?」がいっぱいになりました。

今、司書の目の前にいるのは、理学療法士のMさんです。
院内で訓練をする患者さんに寄り添うMさんに会釈したことは何度もありますが、図書館で会うのは、はじめてです。

Mさんは、いつも柔らかな表情で会釈をしてくれます。
でも、今日のMさんは、眉間に皺が寄っています。

「はい…実は上司に、リハビリスタッフで行う勉強会のための論文を探してくるように言われたんです。でも、何を選べばよいのか悩んでいて…ああ、なんかぼんやりした頼みごとをしちゃって、ごめんなさい。司書さん、忙しいのに。やっぱり自分で探してみます」

Mさんが、くるりと司書に背を向けました。

司書の頭の中は、「!」がいっぱいになりました。

司書は、Mさんの背中に向けて、声を出しました。

「ちょ、ちょっと待ってください」
「え?」
「よければ、一緒に考えさせてください」
「え…本当に、いいんですか?」
「はい、むしろ、ありがたいんです」
「ありがたい?」
「はい、私の勉強にもなりますから」

Mさんの表情が、少し和らぎました。
司書は、早速、聞き取りを始めました。

「みんなで読むということは、抄読会用ですか?」
「あ、抄読会は以前から有志が集まって、不定期ですが、上司の指導で続けています」
「T科長ですね」
「そうです。やっぱりご存じなんですね」
「はい、熱心な方ですよね」

この病院のウェブサイトにあるリハビリテーション科のページには、”論文” のコンテンツがあります。リハビリスタッフが専門誌に投稿し、採用された論文のリストが掲載されているのです。リストには、リハビリテーション科の責任者であるT科長の名前が多くあります。T科長は、近隣にある大学院にも通っており、よく文献複写や参考調査の依頼が司書の元に届くのです。

Mさんの表情が、だいぶ和らいできました。

「はい。今回は、みんなが学ぶ環境をもっと広げていこうという科長の提案により、まだ論文を書いたことのないスタッフや、論文を読むことに慣れていないスタッフに向けた勉強会を開くことになったんです」
「なるほど。では、当院で活用できるツールをいくつかご紹介しながら、初学者向けの文献の探し方をご提案してもいいですか?」

そこから小一時間程度で、Mさんと検討を重ねながら、勉強会に使う論文の候補を数点選ぶことができました。

Mさんの表情が、晴れやかになりました。

「忙しい中、ありがとうございました。教えていただいたツール、勉強会だけではなくて日々の実務にこそ活用できるものもあって、なんだか得した気分です」
「いえ、こちらこそ、ご紹介できてうれしいです。…というか、これまでMさんがご存じなかったのは私の広報が足りないせいでもあるので、申し訳なさもちょっと感じています」
「そんなことないですよ!うちの病院は電子ジャーナルが充実してるから、図書館に行かなくてもなんとかなっちゃうことが多いんですよね。でも、今回は図書館に来てみて、本当に良かったです」
「ありがとうございます…あの、よければ、他の方たちにも今回紹介したリソースをご紹介いただけますか?なにかあれば、図書館へぜひどうぞ、とも」
「もちろんです…でも、実は…」

Mさんの表情が、ちょっと曇りました。

「科長、事あるごとに言ってるんですよ。図書館を活用しなさい、司書さんに聞いてみなさいって。でも、なんだかぴんとこなかったし、日々の業務にも追われてて、足が向かなかったんですよね」
「そうだったんですか」
「忙しい時こそ学ぶ、忘れちゃいけないですね」

司書は、はっとしました。自分も忙しさにかまけて、最近あまり論文に目を通していなかったからです。

「本当にそうですね。私も肝に銘じます」

Mさんは、ふふっと笑いました。

「これも、科長の口癖です。ではまた来ますね」

翌日、司書が病院の屋上庭園で昼食をとっていると、Mさんの姿がありました。Mさんは、いつもと同じ柔らかな表情で患者さんに寄り添っていましたが、口いっぱいにおにぎりをほおばる司書に気づき、会釈をしてくれました。

司書は急いで手で口を隠し、会釈を返しました。

司書の頭の中は、恥ずかしさでいっぱいになりました。

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