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タイトル 司書の私書箱

No.16「アジトと森の手紙」

挿絵
※挿絵はクリックで拡大します。

 こんにちは。
 「革命軍のアジト」はちょっとよかったです。そんな場所、ときどきありますね。
 アジト、懐かしい響き。いや、私自身は革命軍にも非合法活動にも関わったことはなく、幸か不幸か労働争議の扇動をしたこともないわけですけど。
 響きは懐かしいが、言葉の意味を知らなかったな、と調べると「アジテーティング・ポイント」とある。そうか、ただ世界征服を企んだりするだけでなく、アジる、扇動するのが重要なんですね。

 アジトと頭韻を踏む言葉でアジールというのがありますね。こちらは「聖域」という意味合いが強いようですけど「隠れ家」になるということで、アジトと共通するものがある。
 「アジールとしての図書館」なんてことを以前の上司が言ってたなあ、と思いネット検索をすると、そういうことを考えている人はまあまあいるらしく、心強く感じたのです。
 図書館は市民に対して権力を行使するという面もあるけど、市民が権力から逃れる、自由な場所にもなり得る。そう考えると愉快ですから。
 「アジトとしての図書館」「アジールとしての図書館」どちらも権力から距離を置いて見えるところが高橋さん好みだなあ、と(人のせいにするな!)。

 隠れ家を置くのなら森の中はどうかな、と思います。いろいろなものを包み隠す深い森。
「木を隠すなら森の中」ということわざがありますね。「本を隠すなら図書館の中」いや、隠しちゃだめなんですけど。
 本を木に、図書館を森に見立てるのは自然で、図書館の名前に「森」が使われている例もあります。

 もうひとつ木と森に関することわざで「木を見て森を見ず」というのもありますね。森の管理人としては個々の木だけ見ていて、森が見えていないのでは困ります。
 しかし「森を見て木を見ず」森の管理に忙しくて、木を見られないということでは、それはそれで森の専門家として問題がありそうです。森のことも木のことも知っておきたい。

 『木はいいなあ』という絵本があります。(ユードリー:さく、シーモント:え、さいおんじさちこ:やく 偕成社 1976年)
 タイトル通り、とにかく木のよさを綴る本なんですけど、これ以上思いつかないのではないか、というくらいバリエーション豊かに、そして説得力を持って木のよさを描いているんですね。
 1本1本の木のよさはあって、それを描くのだけど、この本の最初の文は「木が たくさん あるのは いいなあ」なんです。そこもいい。

 木はさまざまに私たちの役に立ってくれるのだけど、たくさん集まって森になると、また別の役割を果たしてくれる。ひとつは「保水」ですね。森はダムなんです。
 ここで本と図書館の関係を連想します。
 1冊1冊の本にはそれぞれのよさがある。人の役に立ったりする。そしてその本がたくさん集まることによって、別の役割を果たすのではないか。そんな気がするんです。

 想定外の大雨が降っても洪水にならない。日照りが続いても渇水しない。それは森があるから。
 これはもしかすると本についても言えるのではないか。
 コミュニティが存続するためにはそのコミュニティに合った規模と種類の「本の森」が必要なのではないか。

 1本の木を見たり、それに触れたりするのも好きですが、少し離れて森を見るのもいい。
 森を見て「美しい」と感じるのは、それが私たちの生命を守ってくれている、と本能的に感じているからなのかもしれない。
 本の集合体を見て「美しい」と感じるのは、先人の知的営為の蓄積を目の当たりにして敬虔な気持ちになるから、と思っていたのです。
 しかし実はそれが、生命維持に直結する直観力のせいなのだとしたら、私たちの直観力もなかなかのもんじゃないか、と思い直した次第です。
 この手紙に何か高橋さんをアジテートする部分があればいいなあ、と思いつつ。(大)

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