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タイトル 司書の私書箱

No.15「伝統工芸と唐津旅の手紙」

挿絵
※挿絵はクリックで拡大します。

 こんにちは。手紙の往復とともに季節が過ぎ、梅がこぼれ、桜が散り、田んぼの風に稲がなびき、服装が軽くなって、間もなく雨の時期が来ます。昨年はちょっと変わった梅雨でしたね。スタートダッシュを決めたはずの夏が急遽失速。大雨が降るお盆前になったものでした。
 今年はどんな梅雨になるでしょうか。勝手な言い分なのですが願わくはもう数年変な気候を続けてもらって、「近年の異常気象は!」という雰囲気を持ち上げておきつつ、その後10年くらいしれっとド・スタンダードの暦模様を続けてくるような小憎い配球を期待している自分がいます。

 栃木県芳賀郡益子町へのお引越し、栃木福島の隣接県になってグッと距離が近くなりましたね。贅沢な無意味を楽しめる(そんな状況下の?)新生活をお祈りしています。
「図書館が生まれる」ところに立ち会うお仕事。なんと素晴らしいお仕事!春に植えた苗は慈雨を受けて芽を伸ばし、夏につやつやの実をつけます。畑の野菜でも野生の実でも、その生が誰かに望まれたものであってもなくとも、自身を糧にして他者の「生」を繋いでくれるものであってほしいなーなんて思ったりします。これもまた勝手な言い分ですね。

 さて、益子といえば益子焼。
 私、生まれが山形県天童市。将棋の駒づくりで有名な町です。余談ですが、私の名前の一文字も父が将棋が好きだったことから取ったとか。子どもの頃は街のあちこちに将棋の駒を彫っている店があったものです。大林さんの引越しの知らせを聞いて、「国指定の伝統工芸がある地元」という括りで、益子町で生活する方々にちょっとしたシンパシーを感じる面がありました。
 流行病が始まるちょっと前に、佐賀県唐津市を訪ねる機会があったのですが、そこでも唐津焼という伝統工芸とその担い手との触れ合いがありました。ちょっとその時のお話を―。
 元々唐津焼の土の風合いが好きで、唐津焼の酒器を求めていくつかの窯元にお邪魔しました。伺った窯では大変親切にしていただいてお目当ての器も見つけることができたのですが、そのうちの一窯で陶芸家さんと意気投合して、なんと夕食までご一緒できることになったのです。私の「呼子イカのお造りが食べたい」という我儘に街の居酒屋をご紹介していただき、東北とは違う、白身魚メインの新鮮なお造りに舌鼓を打ちました。
 二軒目は場所を移して、その陶芸家さんの行きつけのお店に連れて行ってもらったのですが、唐津の街づくりに携わる方々が集まっていて、美味しい料理も然ることながら異業種間での意見交換がとても勉強になったことを覚えています。「革命軍のアジト」のような雰囲気でした(笑)
 「伝統を継いでいくことはもちろん大事だが、現代生きている人と感覚を共有できなければ器を使ってもらうことができない。そのバランスを考えることも自分の生き方だと思っている」というその陶芸家さんの言葉に、司書の私も大いに感じ、酔っぱらった私たちはそのまま明け方の唐津に繰り出し、アーケード内の空き店舗活用のアイデアを出し合い、朝日を背に千鳥足で宿に帰ったのでした。この時の二日酔いの悪夢は、頂いてきた唐津焼とともに忘れられない思い出になっています。…そんなお話。

 やきものといえば、実は福島県相馬地方にも、「大堀相馬焼」という国指定伝統工芸があります。なにやら益子焼との関係も…。益子焼と大堀相馬焼を並べて一献傾ける、そんな機会が栃木在住中にあらんことを。
 始めから終わりまで勝手な言い分、梅雨だけに水に流してほしいところですが最後のだけはどうか許してくださいね。(高)

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