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タイトル 司書の私書箱

No.11「役割とスタイルの手紙」

挿絵1
※挿絵はクリックで拡大します。

 こんにちは。ちょっと飲みながらお手紙を書こうかなと開けたワインが、びっくりするほど当たりで驚いています。お酒は一期一会。美味しかったからと同じものを買い求めるのも何か無粋な気がして、ではどうしよう、この心の動きを何かで残したいと思ったときに、手紙というチョイスはなかなか乙なものではないかと、筆を走らせている次第です。自分が出した手紙には、普通再び出会うことは無いもの。それでも「またこの思いに出会えたらいいな」と思って封を閉じることは、毎日の現実的なあれこれを見下ろす気分で、あれです。なんかエモい(時代を踏まえた思考停止)。

 前回いただいた大林さんのお手紙、「叔父さん叔母さん」と「伯父さん伯母さん」論には、本当に激しく膝を打たせていただきました。本当に、リアルでばっしばしでした。
 日常生活で、私も様々な立場で他者と接します。相方として、夫として、父として、司書(図書館の人)として、同僚として、好青年として、ひねくれた男として…etc。とりわけ、移動図書館で地域を回る際、子どもと接するときの自分の役割については熟考した経過があります。親でもない、先生でもない、現代では少なくなった「近くにいるちょっと知り合いの大人」になれたらいいなと思いながら、移動図書館車に乗り始めました。それは、時には(前回の大林さんのお手紙の)伯父さんに、時には叔父さんになって、「好きに持っていきな」や「おい、知ってるか?」を言いたい、言う人になりたかったのだと思います。ある日の巡回で、小学5年生に「マーさん(私)、セックスしたことある?」と尋ねられたとき、『役割きた!!』と目が光ったときの気持ちを、大林さんのお手紙を読んでありありと思い出しました。偏見は差別に繋がるものかもしれませんが、偏見なしに個人をただの個人として見続けられるほど、人は人に無関心ではいられない(いられない人が多い)のではないでしょうか。…なんていう正当化は卑怯かもしれませんね。お酒のせいにはできません。
 あ、手紙を読みながら、なぜか、一番好きな「門構えの漢字」を考えました。個人的には漢字は基本的に水系のニュアンスが好き(さんずい、にすい)なのですが、門と水の相性はというと私の中ではちょっと合わない。「門」はカチッとしているのに、「水」はシャッとしていて。「潤さん」にも「閖上の赤貝」にも申し訳ないのですが、マイフェイバリットかといわれるとしっくりこない。好きも嫌いも結局はただの偏見なのでしょうか。

 さて、昨年末に4年に一度のサッカーW杯が開催され、激戦の連続の中、幕を閉じました。各国とも負けられない一発勝負用のチューンアップをベースにしつつも、国によっては「この国のサッカーはこうだから」というスタイルを貫き通したところもありました。W杯は一発勝負の大会ですが、歴史的な強豪国にはスタイルがある。勝敗を超えてスタイルを貫き通す、今大会でいえばスペインのような国に、なんとなく共感を持ってしまったものでした。
 スタイルってどうやってできていくものなのでしょうか。一国の代表…というと関わるファクターが多くなって複雑になってしまうので、「学校の部活」くらいで考えれば単純化できるのではないかと思いました。各種目で強豪校と呼ばれる学校はスタイルを持っています。指導者の哲学、伝統・部訓、メンバーの特性に合わせて都度組み立てる…何がしの方針があって、それを継続し、そのスタイルに沿った教育を行うことで、世代を超えた地域性が生まれる。「早稲田だもんなー」とか「筑波はよー」とか、わかりやすくあるのではないでしょうか。
 では、図書館のスタイルは?無いほうが良い?どうやって作る?お互い、ちょっと変わった、おもしろめ(な気がする)の図書館で働いているようなので、自館のスタイル話は一度お聞きしてみたいところです。スタイルを「特性」と読み替えれば、「意味」という概念とも遠からずつながっている気がして、で、「意味」は「役割」とも当然つながっていて。「叔父さん(伯父伯母叔母でも)みたいな図書館」なんて概念は、前回の手紙ではまとめ感で使われていましたが、スタイル話とからめれば、あながち無しでもないのかなあなんて思ったりもしました。

 色々考えた結果、門構えの漢字で好きなものは「閂」になりました。字面が顔みたいだし、パソコンで「閂」と打ってフォントを変えると、表情が変わるんですよ。ぜひ暇なときにやってみていただければ、と。(高)

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