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タイトル 司書の私書箱

No.9「読書のハードルの手紙」

挿絵1
※挿絵はクリックで拡大します。

 こんにちは。東北は冬の足音が聞こえ始めました。
 家の近くの山に毒キノコが生えています。カエンタケのような攻撃的な見た目ならわかりやすいのですが、そんなものばかりではなく。でも、地元の人はみんな食べていけないキノコのことは知っているんですよね。「このキノコに『毒』って書いておけ!」と、がなりつける人なんて聞いたことがありません。近くに本屋さんが無いくらいの田舎でも、ちゃんと文化だなあ…と、初冬のススキを眺めてしみじみ思いました。
 あたりの様子は正に山村暮鳥の名の由来のとおり。
 静かな山村の夕暮れの中、鳥が毒キノコの山(?)を越えていきます。そろそろ都會は美しくなってくるのでしょう。
 高校時代、友人が「手が冷たい人は心があたたかい」と話しているのを脇で聞きながら、ポケットの中でぽかぽかになっている我が手をぎゅっと握りしめたことがありました。今の自分なら「俺、手あったけーし!」とおちゃらけるのでしょうか。それとも、客観性を振りかざして、そんな命題は事実無根だと論破にかかるのでしょうか。黙って手を握りしめ続けている自分に成長してくれているとよいのですが。

 さて先日、同僚と図書館の話をしていて、「読書のハードルを低くしたい」という話題になりました。図書館は誰でも入れる場所。市民の本棚。『たしかにー!』 初めて図書館に来る人でも、本を読んだことがない人でも、ふわっと受け入れてくれる場所。『いいですねー!』
 で、話が終わって席に戻り、学生時代を思い出しまして。私は小学校から高校まで剣道を習っていました。体験として、「できるようになること」「勝負に勝てるようになること」「面白くなること」「強くなること」…どこのハードルが一番高かったかなあと考えてみたのです。
 できてくると勝てるようになって面白い。これはまあ当たり前なのですが、よくよく考えてみると「面白い」の幅がとても広かった。
 面白さが成長していって、ある点でジャンプアップする。「ただ楽しい」から、ぐっと剣道が好きになる瞬間があったなと。多分このジャンプアップが私の場合、一番難しくて、きっかけを必要として、高い壁だったと感じました。古舘春一さんのコミックス『ハイキュー!!』で「勝負事で楽しむためには強さが要る」というセリフがありました。強くなるほど自由になっていくんですよね。
 では、読書だとどうでしょうか。読書の面白さがわからない人がいて、その人が「面白い」を感じた瞬間。その瞬間、その一冊がジャンプアップのポイントなのではないかと思うのです。個人的に、このハードルは低くしたくない。「高ければ高い壁のほうが登った時気持ちいいもんな」ってミスチルも言ってたし。じゃあ図書館的にはどうしたいか。その人が「面白い」を感じる瞬間まで、その人から読書を含む環境が遠ざからないことが大事なのかなと思いました。面白さがわからない期間を環境側が見守っていくほうが、建設的かなあと。

 なんて言ってみたものの、もしかしたら私は他者の経験に関わろうとしすぎなのかもしれません。嫌いなら嫌いでいい…が自然じゃないかと思いつつ、「好きになってくれたら嬉しいな」とも思ってしまうのが正直なところです。
 松岡享子さんの著書『子どもと本』から、イーノック・プラット公共図書館の館長、エドウィン・キャスタニヤさんの言葉を引用すると、
 「わたしたちは、本を良いものだと信じる人々の集団に属しています。わたしたちの任務は、できるだけ多くの人をこの集団に招き入れることです」
 前半は素直に共感できるのですが、後半はどこまで踏み込んでよいものかと迷ってしまうのです。
 自分のことを考えれば、できることならだれかの導きによって楽しみを発見するよりは、回数は少なくとも自分で楽しみを発見するほうがいい。「キレイな風景を見に旅に出る」より「旅で見た風景がキレイだった」を好む自分でいたいというか?まあ、ただの自己満足なのですが。
 世間は年末の喧騒に飛び込んでいきます。片付かない机の上にだって朝日はさしてくれることでしょう(遠い目)。
 良いお年をお迎えください。(高)

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