どの家にもあるマルチ道具、お鍋。
炒める、茹でる、蒸す、和える。もちろん煮る、も。揚げたり、焼いたりだって任せなさいなのでしょう。自分の鍋をしみじみ眺めて、限られた使い方しかしてこなかったことを反省しました。きっと、怖かったのかもしれません。
本当に鍋にたぷたぷの油をいれていいのでしょうか?歪んだりしない?鍋で炒め物をしたらフライパンは嫉妬してしまわないのでしょうか?私はフライパンともうまくやっていきたいので、嫌われるのはちょっと嫌です。玉砕(鍋死亡)覚悟で試してみれば、もしくは誰かが教えてくれれば「あ、いいんだ」となったのかもしれませんが、自分の無知に閉じこもってしまっていました。鍋は煮物や茹で物をする道具。図書館は小説を借りてくる場所。教えてもらえるなら、優しい人に、優しく「大丈夫だよ」と言ってほしいです。
ところで、鍋は色んなことができますが、やっていることは「中にものをいれて、加熱される」ということなのだとも思います。多機能だけれども単機能。何でもできる(可能性がある)のは、鍋にまつわる何なのでしょう。鍋のような司書。多機能でシンプル。軽さのある司書にまつわっているのは何でしょう。司書と使い手の間に優しい人がいてくれるといいのですが。
昨月いただいたお手紙で「前置き」のお話に興味を惹かれました。前置きの文化、色んな価値観と絡まっている気がして、ほどき甲斐がありますね(知恵の輪はたくさん持っています)。
例えばですが、芸術作品の前置き、作品や作者の情報が欲しいか、欲しくないか。本の情報の前置き、新刊にかかっている販売促進用の帯、図書館の分類、先行読者の思い(推薦文など)。欲しいか、欲しくないか。
「ただそこにあった本のページをめくって、何もないところからその本と対話する」…前置きを拒絶しようとしたら、偏屈頑固になりました。わかっています。「拒絶」が頑固の始まりなのでしょう。
必要な情報を早く探さなければならない読者もいるでしょうから、前置き情報無しというものが全てに勝るとは思っていません。「適切な情報は処理スピードをあげる」?
利用者の時間を節約せよ、前置きをスマートに使って。
さて、前置きはそろそろ切り上げましょうか。本題はラーメンの話です。
先月のお手紙のお題(違う)、「久しぶりにラーメン以外のものを食べました。これも悪くないですね」…私はどれだけラーメンに囚われているのでしょうか。ちゃんとラーメン以外のものも美味しいと思っていますよ。
1日3回の食事機会。1週間で21回。1か月で630回「ラーメンかそれ以外か」の選択を迫られているとすれば、ラーメンを選んでいるのはせいぜい5回に1回くらいじゃないかと思うのです。4回は、ご飯とみそ汁だったり、パンと牛乳だったり、お酒とおつまみだったり、幸せな食の時間を楽しんでいます。
せいぜい5回に1回。つまり2日に1回、ラーメン。これは多いのか少ないのか。評価に必要なのは統計的思考でしょうか。それとも、スマートな前置きでしょうか。
「2日は1日と1日からできている。最初の1日が終われば次の1日とその次の1日でまた新しい2日が始まる。つまり2日は重なりあっていて、観測された瞬間に時はラーメンに収束する。」
はいスマート。食べたいと思った(気持ちが観測された)ときが食べ時ということで、回数は不適切ではないという評価が導かれました。
本題に入ったはずなのに、前置きの話で終わってしまいそうです。不思議ですね。いただいたお手紙にあった「それも悪くない」がある暮らしのお話は、ぜひいろんな角度で聞いてみたいと思いました。もちろん、もしご迷惑でなければ、で、かまいませんので。(高)
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