「この本、すごい!」その感動を誰かに話したい、誰かと分かち合いたいと思ったことはありませんか。私はありますよ、月に1、2回の頻度で。
インターネットが自由な意見のやり取りどころか、相互監視とデマ拡散のツールとなりそうな昨今。結果として、世の中から自由でいきいきとした会話が失われるとすれば、なんとも味気ないことですね。でも、人類はその発生以来、会話によって集団を維持し、発展させてきたはず。家庭や職場や地域社会はもちろん、国家規模の社会や国際社会だって例外ではないと思います。
インターネットに覆われた社会になっても大切にしたい本の効用、それは「会話発生装置」であることです。私が推している読書会の手法、ABD(アクティブ・ブック・ダイアローグⓇ)は、会話を発生させる装置としての本の特性を最大限に生かした方法の一つです。(詳しくは第28回と第35回をお読みください。)
では、これからの公共図書館はどうあるべきか? スローガンとして表現するなら、「会話を止めるな」。これだと思うのですよ。まずは、本が会話を生む装置であることを率直に、前向きに認めること。とりわけ育みたいのは、「ちょっと深い会話」です。「ちょっと深い」とは、当たり障りのない日常会話のレベルよりも少しだけ深いところに踏み込むこと。たとえば、「あなたが読んだベストセラー、私も読んだよ。」から、一歩踏み込んで「このベストセラーを読んで、私は●●と思ったけど、▽▽という疑問が残った。あなたはどう思った? 私の疑問について、あなただったらどう答える?」へ。
朱喜哲(ちゅ・ひちょる)という哲学者がすてきなことを書いています。
<会話を続けるなかで、私たちは他者の語彙に触れ、心を動かされたり、疑問を感じたりしながら、自己を拡張し、自分の終極の語彙を改訂に開いていく。>『NHKテキスト2024年2月 100分de名著 ローティ「偶然性・アイロニー・連帯」』
<自分の終極の語彙を改訂に開いていく>はちょっと難しい言い方ですが、自分の信念だって変わり得るんだ、というオープンな姿勢でいることだと思います。
現代社会は、「他者の語彙に触れ…自己を拡張」することができる、そんな「ちょっと深い会話」を必要としているのではないでしょうか。図書館の活路は、公民館やカフェと融合しつつ「ちょっと深い会話」を促す空間となることにある。これが私の図書館観の最新バージョンです。
図書館が会話発生装置になれば、会話を遮るのではなく、「ちょっと深い会話」を促すことが図書館員の仕事になりますね。唇の前に人差し指を立てて「シーッ!」とやっているイメージとは、お別れしなければ。考えてみれば、利用者の調べ物をサポートするレファレンス・サービスだって、会話が肝心です。このサービスを受けに来る人の多くは、実は、自分の課題の解決につながるような「ちょっと深い会話」を求めているのです。
司書のみなさん。今、目の前にある本をどれでもいいから手に取って、あなたの隣の人(同僚でも、友人でも、家族でも)に見せながら、話しかけてみましょう。「この本について、ちょっと深い話をしたいんだけど、いいかな?」ぜひ、お試しあれ。
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