昨年11月の下旬。お遍路をするために4日間、徳島県に行ってきました。1日約20㎞をひたすら自分の足で歩きました。3日目に右足を痛めてしまい、最終日は初冬の寒さと足の痛さで、曲がり角に来るたびに「もう帰ろうか」「もうやめようか」と迷いました。一人旅だし、御大師様(弘法大師)以外、誰も見ていないのだから、やめるかどうかは、ただただ、自分の選択にかかっています。結局、歩くことを選び、なんとか予定の寺まで歩ききりました。犠牲は、右足小指の爪1枚。しかし、最後まで自分で選択しきったことに、ささやかだけど確かな喜びを感じました。
さて、図書館の話です。東海ナレッジネット(私も運営メンバーの一人)の代表を務める山本茜さんが、愛知県一宮市の「子ども司書講座」で一コマを担当した報告を書いておられます。公式のビブリオバトルとは一味違う「ビブリオバトル×探求型読書」にチャレンジした模様は、東海ナレッジネットのブログで読むことができます。(https://knowledge-net.hatenablog.com/entry/2023/08/10/071857)この報告に出てくる子どもたちは、本当にのびのびとしていて楽しそう!
子どもにとっての公共図書館は、「読みたい本を選ぶ自由」「選んだ本をどう読むか(読まないか)の自由」を満喫する場であってほしい。そして、子どもだって選択の自由を持つ主体であることを実感してほしいと思っています。この講座は、図書館が本当にそういう場になり得ることを証明してくれました。
報告に曰く、
<最後に、「本」と「本がある場」を仲間にして、楽しんでいってもらいたい、それが子ども司書の力、役割であるということをお伝えしました。子どもの頃の自分はまさに、子ども司書講座にいたような子どもだったのですが、子どもだった自分にどう言葉をかけるだろうかと想像し、伝えました。>
インターネットを主な舞台として、あの手この手で、注意力を奪い合うアテンション・エコノミーの時代。大人だって、どれだけ自分で選んだと言い切れるか怪しいものです。だからこそ、自分で選んだ、と確信できることは尊い。東日本大震災の直後、被災地での巡回を始めた移動図書館のスタッフに、利用する方々は「自分で選べるって、こんなに幸せなことだったのか」と語ったそうです。(鎌倉幸子『走れ!移動図書館:本でよりそう復興支援』筑摩書房)物資の供給が激減し「選ぶ自由」が極端に制約される極限状況だからこそ見えてくることですね。
いろんな本を紹介するのはよいことです。マーケティングも大事です。でも、それらはあくまでも、利用者が自分で選ぶことへのサポートであるはず。相手が子どもであっても、大人であっても、です。
初めて自分で自分の読む本を選んだ時の気分を思い出すために、次の休日は何の事前情報もなく勤め先以外の図書館に行ってみませんか。そして、心が最初に動いた本を手にとって読んでみるのです。ぜひ、お試しあれ。(もちろん、そうすることを選ぶかどうかは、あなたの自由です、完全に。)
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