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タイトル 猫の手は借りられますか〜図書館肉球譚〜

第15回 偏愛に耳をすませば…

 大学の講師をしていると、学生から思わぬ質問を投げかけられることがあります。その「問い」こそが、非常勤講師にとって一番の役得かもしれません。先日も図書館サービスの授業でこう尋ねられました。その学生をAさんとしましょう。

 Aさん曰く、利用者のプライバシー保護のため、図書館の資料が返却された際に貸出記録のデータを消去するのが原則と前回の授業で聞いた。実はスタジオジブリのアニメ『耳をすませば』にこんなシーンがあった。読書好きの主人公が図書館で借りる本のブックカードにいつも同じ名前が書かれていることに気づき、その人物について思いをめぐらせる。そこから物語が進んでいくのだが、実際にこんな図書館があったらプライバシーの観点から問題ではないか…。

 私は、日本図書館協会がこの映画について同じような観点から問題にしたことがある、と答えて、協会の機関誌のバックナンバーに掲載されている関連のコラムを紹介しました。すると、このやりとりを知った別の学生(Bさんとしましょう)からこんな感想をもらいました。

 Bさん曰く、自分にはこんな思い出がある。小学校の図書館で本を借りるたびに、同じ人が先に借りていることに、ブックカードのおかげで気づいた。この人と話してみたい!と思いわくわくした。(実際にその人と会うことはなかったそうです。)プライバシー保護は重要な義務だが、こういった経験ができなくなるのは少し寂しい。本が媒介する人と人のつながりは、予感だけでもワクワク感をもたらす…。

 私は、Bさんの感想にこんなコメントを返しました。

 本が人と人をつなぐ、その予感だけでもわくわくしてしまう、という感覚は大切だ。公共図書館の場合、プライバシーの保護と、本を介した人と人の新たなつながりを両立させる方法といえば、かつては対面の読書会くらいしかなかったと思う。しかし、これからは、いろんな方法が開発されていくだろう。読書会だってインターネットを使えば、新しい可能性が広がるはずだ。

 さて、そもそも本を介した出会いのワクワク感は、何に由来するのでしょうか。

挿絵
※挿絵はクリックで拡大します。

 多くの人は、本の内容や著者に対する特別な関心や愛情、すなわち「偏愛」に導かれて本を読んでいます。本を通して垣間見える偏愛への共感や、偏愛の対象への好奇心がワクワク感を喚起する、という仮説が成り立ちそうです。世間が見向きもしないような対象に一途な愛を寄せる孤独な魂同士が共振する、そんな邂逅の予感こそワクワク感の正体じゃないのか、と私は妄想するのです。

 先日、「渋谷〇〇(マルマル)書店」という一風変わった書店があることを知りました。そこは、まさに「偏愛コミュニティ」。130に区割りされた棚を借りる130人の「棚主」たちが、それぞれの偏愛に満ちた小空間をディスプレイし、棚主同士や来客との交流を深めているのですから。「私の図書館でもやれるかも!」と思ったあなた。ぜひ、お試しあれ。

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