back number

タイトル 猫の手は借りられますか〜図書館肉球譚〜

第6回 フヨーフキューに司書は殺せない

 このご時世、美術館、博物館、劇場、そして図書館といった文化施設は「不要不急」と見られがちです。当座の役に立たないものは、そもそも必要ないものだという怪しげな理屈が、世の中を当座の役に“しか”立たないガラクタでいっぱいにしてしまうかも。猫にそんな屁理屈は通りませんけどね。

挿絵
※挿絵はクリックで拡大します。

 昔々、あるお屋敷に本好きな猫が住んでおりました。飼い主からもらったお小遣いで買った本。ゴミ捨て場から拾ってきた本。一万冊を超える頃には重みで猫の住処である屋根裏部屋の床がきしみ始めたのです。

 そこで、飼い主は猫に尋ねました。「このままでは部屋が一杯になり、床が抜け落ちてしまうよ。お前の部屋は私の寝室の真上だから、近頃は恐ろしくてしかたない。そもそもお前はここにある本をすべて読んだのかね。」

 猫は答えました。「いいえ、たぶん百冊も読んではおりません。でも、一冊読むたびに関係のありそうな九冊の本を手元に置きたくなるのです。なぜとお尋ねになりますか?

 実は、まだ読んでいない九千冊の背表紙を見るたびに、未知の世界が私を手招きしていることを思い出すのです。私たちは好奇心のためなら命をも顧みない種族です。好奇心を刺激する九千冊と出会うために千冊を読んだとさえいえるかもしれません。」

 飼い主は、不要な九千冊を処分せよなんていう野暮は言いませんでした。でも、命は誰だって惜しいですよね。彼は町の有力者と掛け合い、猫の蔵書を町に寄付して図書館をつくることにしました。もちろん猫は町の司書に任命され、訪れるすべての人と猫の好奇心を刺激する本の収集に力をふるいました。

 なぜ猫にそんなことができたかって?もちろん、この猫には好奇心があったからです。森羅万象、とりわけ人と猫への好奇心がね。それからもう一つ。町の有力者は、好奇心が学問と芸術、発明と発見、出会いとセレンディピティの原動力だとよく分かっていました。だから、司書になった猫の仕事ぶりを頼もしく思ったのです。

 私が働いていた渥美半島の図書館の大恩人は、この司書ネコの生まれ変わりかもしれません。その人の名は杉浦明平。百年以上前に渥美半島で生を受けた文学者です。戦後の激しい変化に晒された半島で、必死に生きる庶民を描いた記録文学が高く評価されました。『デカメロン』の翻訳で知られるイタリア文学者でもあった彼は、今世紀最初の年に亡くなるまで文芸・政治・園芸等々、多彩な分野に好奇心を注ぎ数万冊の蔵書を遺したのです。別所興一他著『杉浦明平を読む』(風媒社)掲載の年譜によれば、その晩年に「新図書館建設を計画中の渥美町に蔵書の大半を寄贈した。」そして、翌年「渥美町立図書館が開館し、杉浦明平寄贈図書室が設けられた」のでした。

 あなたの住んでいる土地にも司書ネコの生まれ変わりがいませんか。好奇心が強い猫もその生まれ変わりも、この広い世界ではありふれた存在ですからね。もしもあなた自身の好奇心が刺激されたなら、まちの図書館で郷土の歴史を紐解き司書ネコが蘇えった痕跡を探してみてください。お試しあれ。

Copyright (C) yukensha All Rights Reserved.

design pondt.com テンプレート