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タイトル 猫の手は借りられますか〜図書館肉球譚〜

第1回 司書は靴をはいた猫である

 図書館に生息する司書を、ヒト以外の動物にたとえるなら、猫でしょう。飼ったことがないので、動物学上のネコはよく分かりません。でも、太古から人類が妄想、いや想像してきた猫は、なかなかに司書っぽいのですよ。

 心理学者の河合隼雄は、エッセイ集『猫だましい』(新潮社)の中で「猫マンダラ」というものを紹介しています。「猫の変幻自在な特性」を絵解きするこのマンダラの解説を読むと、司書の生態観察記録じゃないか、と思えてきます。

「ねずみを捕る猫、獰猛な猫」
これは、本を貪欲かつ果敢に収集する司書ですね。猫にはねずみ、司書には本。

「可愛くて優しい、あるいは怠惰な…怠けものの猫」
 こちらは、本を読む司書。本当に怠けているわけじゃないですよ。依頼された文献調査のため。展示、朗読といったイベントに使う本を見つけるため。あるいは書店から届けられた大量のねずみ、ではなく新刊本から購入する一冊を選ぶため。あんまり必死で読んでいると殺気を放ってしまうので、あえて怠けるふりをしているのです。

「なかなか賢くて、自主的、自立的に行動する猫」
 飼い主、ではなく、お偉方やうるさ型に「風紀を乱す本を買うな」とか「過激な思想の本を置くな」とか難詰されても、簡単には尻尾を振らない司書。ちょっとかっこいいかも。

「女性的(中略)で、どこか捉えどころがない」
 捉えどころがないかどうかはさて置き、少なくとも現代の日本では、司書は女性の占める比率が飛び抜けて高い職業ですからね。辞令一枚で男本位の「お役所」から迷い込んだ三十年前のアリスならぬ私にとって、図書館はまさにワンダーランドでした。歓送迎会の挨拶で「女性が多い職場でとまどっています」と口を滑らした不心得者を鼻で笑っていたのは多分、チェシャ猫。

「紙の本がなくなったら図書館は要らないよ。ネコ型ロボットとはいかなくても、AIがもうちょっと発達したら司書もお払い箱だね」なんて話が、あちこちから聞こえてきそうな昨今。それでも、猫は司書たちに、単なる延命策ではない、意味のあるサバイバルのためのヒントを授けてくれるように思えてなりません。河合隼雄だったら、猫の姿をとって現れた集合的無意識とでもおっしゃるかな?

 次回からは、図書館と司書が、生き残りから大逆転へのデスロードを驀進するために役立つ(かもしれない)ヒントをお届けします。猫の姿で顕現した司書たちを描く、八重樫貴子さんのイラストもお楽しみに。

 最後に、この連載のタイトル、「猫の手は借りられますか?」について、ひとこと。図書館すなわち本を借りる場所、あるいは読書をする場所という“常識”は根強いものです。けっして間違った認識というわけではありません。でも、この“常識”が、そこからはみ出ることを許されない規範と捉えられたら、まずい。図書館や司書がもっている可能性を狭めてしまいます。図書館を訪れる人たちの、願いも望みも千差万別、人それぞれ。切実な思いをもつ人が本当に借りたいものを、私が「猫の手」と呼ぶ理由です。

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