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タイトル 本の風

第33回 「転ばぬ先の杖」

 人生初のがん検診で再検査となり、予想以上にうろたえてしまった。結果が出るまで、落ちつかない日々を過ごしていた。
 病院では待ち時間がおどろくほど長く、読書する時間がたくさんあった。図書館に行って本を探していても、ついふらふらと医学書の棚に行って闘病記を選んでしまう。そのころに読んで励まされたのが『介護のうしろから「がん」が来た!』(篠田節子/著 集英社)と『くもをさがす』(西加奈子/著 河出書房新社)である。起きたことを、淡々と記録していて、二人とも今まで書かれた小説のように、芯の強さがあるなあと感心した。
 最初の検査から、いくつかの検査を受け2か月ほど経って「今回は異常なしでした。」と言われたときは、心底ほっとした。その時読んでいた本は『死者宅の清掃 韓国の特殊清掃員がみた孤独死の記録』(キム・ワン/著 蓮池薫/訳 実業之日本社)だったのだが、もし結果が悪かったら部屋を大掃除しようと思っていた。結局なにもせず、現状維持のままになってしまったが。

 とりあえず、すぐに保険に加入して少しだけ安心することができた。病気の心配もさることながら、お金の不安がそれ以上だった。晴れて契約成立後、今度は働けなくなった時どうしよう、と思いだしてきた。そんなときにずっと積読本にしていた『イワンのばか』(レフ・トルストイ/著 金子幸彦/訳 岩波少年文庫)をたまたま手に取った。本に呼ばれたのだろう。読んでみて、ここ最近の自分を見透かされていたようで驚いた。
 収録されている「人には多くの土地がいるか」はあまりの皮肉な結末に、うわぁと声が出た。「人は何で生きるか」で、これから一番大切なものは愛しかない、と思った。表題作の「イワンのばか」は、周りの人たちにとにかく読んで、と言って回りたいくらいだ。
 トルストイの偉大さに感激してすぐに1955年初版と1987年改版も買い揃えた。挿絵も田中義三氏とスズキコージ氏それぞれ個性的なイワンと悪魔で、表紙を見比べるだけでも楽しい。訳者の金子氏のあとがきにも変更部分があり、今の世界情勢では初版のほうが胸に迫るものがある。

 本は読むことはもちろん、買うのが楽しい。それは私にとって生きがいの一つだ。好きな本を自分が働いたお金で買い、その時読まなくても手元においておけることが嬉しい。まだ読めていないものや、読み返したい本が棚にぎっしり詰まっている、というか溢れている。これを読み切るまでは死ねないと思う。仕方がない、少し怖いが来年もまた検診を受けるしかないだろう。(真)

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