トントントントントントントントン――。
軽快な音が窓の外から聞こえてきた。
その日は久しぶりに予定のない休日で、いつもより少しの朝寝坊から目が覚めて、二度寝をしようかなと思案していた時だった。音のする方を見ると空き地だったところに建物を建てているようで、作業している大工さんが数人見えた。職人さんの仕事を見ているのが懐かしくなって、しばらくぼんやりと眺めていた。
私の自宅のお向かいは工務店と板金工事店が隣同士である。どちらも代替わりはしているものの、私が幼いころから変わっておらず、職人さんたちが何かをつくっている音や、木を削っている音や金物を加工している音などが毎日聞こえていた。人様の会社の広い敷地を遊び場にして自転車を乗り回していた幼い私が、仕事をする人として最初に認識していたのはこういった職人さんたちだったと思う。
私の父も電気工事の仕事をする人で、お向かいの工務店や板金工事店と一緒に戸建て住宅など建物をつくる仕事をする職人さんのひとりだった。家には何に使うのかさっぱりわからない様々な部品や道具、電線などがたくさんあり、夜になると、父は座布団の上に胡座をかいて、背中を丸めいつも何かをつくっていた。ものを大事にする人で、自宅の電化製品は修理を重ねて使っており、おかげで半世紀も前のMITSUBISHIと書かれた扇風機は今も現役で活躍している。
家をつくる人たちを近くに見てきたからか、建築やインテリアのことが好きで小学生のころに雑誌『私の部屋』を読んではうっとりしていたことを覚えている。お金はないのでたくさん買うことはできないから、1冊の雑誌を大切に穴が開くほど隅々まで読んでいた。そのころに感じた、知りたいことや興味のあることに対して、手に入れられる情報が少ないという飢えにも似た気持ちを感じたことが忘れられない。
その当時、私の住む町には公共図書館はなかった。日に焼けた背表紙の古びた物語が並ぶ学校図書室か、町の書店がすべてだった。でも子どもが歩いていける距離に書店があったことは、とても幸せなことだったと今となっては思う。立ち読みばかりしていたので、迷惑だったことでしょう、ごめんなさい……あの頃、公共図書館があったらきっと入り浸っていただろうなあと思うばかり。
ジャンルとしては建築かな、アートかな、実は民俗学かしらと思う、大好きな1冊をご紹介。
『家をせおって歩く』(村上慧/作・福音館書店)
著者は武蔵野美術大学の建築学科を卒業したアーティスト。自作の発泡スチロール製の小さな家を背負って日本中を歩いた一年間の記録をまとめたものだ。背負った家に住むためには、家を置くための土地を借りなくてはいけない。お寺や神社やお店などを訪ね交渉して許可をもらう。そこではじめて、家を置くことができ『「背負って歩いてた」家が「帰る場所」に変わる』と書かれた部分にハッとした。改めて、家は帰る場所だと考えると、家があることで得られる心の拠り所は大きいものだと思う。東京を出発して北上した際に私の住む秋田県沿岸部も歩いた記録があった。どんな人に出会い、何を食べたのか尋ねてみたいものだ。(石)
design テンプレート