マンガの読み方を学習したのは、小学校に上がって『ドラえもん』のコミック本を読んだのが最初だったと思う。その後雑誌で最新作を読めることを知り『コロコロコミック』や『なかよし』をこづかいで買うようになった。高学年になると『少年ジャンプ』にのりかえ、「キャプテン翼」や「ドラゴンボール」に夢中になり、発売日より1日早く買えるとなり町の駄菓子屋まで自転車で買いにいったものだ。
当時の私は教育熱心な母のもと、週6で塾や習い事に明け暮れ、学級委員もやるような優等生をしていたが、疲れると塾をさぼって公園のベンチで休んだり、近所の釣り堀に行って、コイがかかるのをぼーっと待ちながら、息抜きをするような子どもだった。
暗黒の中学時代を終え、高校生になって自由を手に入れると、本が心の友になった。高3の時に友達が貸してくれた『pink』(岡崎京子/マガジンハウス)に衝撃を受け、このマンガ家に一生ついていこうと誓った。多感な時期に岡崎氏のイラストや対談が載っていた『an・an』や『CREA』を追いかけて読んでいたのは今振り返れば正解だった。インターネットのなかった当時、サブカルチャーを学ぶには雑誌が一番近道だったし、自分の好みを確立することができたからだ。
女子が資本主義社会を生き抜くとはこういうことだ、ということを岡崎マンガでたくさん学んだ。『ヘルタースケルター』(祥伝社)の主人公りりこは、人生を変えるために命がけで顔も体も整形しスターとなり、秘密を隠しつづける恐怖や痛みと戦いながら次々と成功を手にしていく。彼女を取り巻く世界は過剰で欲望の強い人たちがたくさん出てきて、特殊な世界の物語と思っていたが、今ではこういうこともままあるだろうな、と共感できる社会になってしまった。
『秋の日は釣瓶落とし』(双葉社)は、家庭とは何かがテーマになっている。過労死、認知症、不倫、家庭内暴力、LGBTQと現代の課題がすべて詰まった家族が、なんとかして幸せをみつける話を30年前にたった3回の連載でしかも『週刊漫画アクション』という青年誌で描ききるなんて、本当にすごいとしか言いようがない。
受験が終わって暇そうにしている娘に「岡崎先生はあなたの学校の先輩なのだから、今のうちに読んでおいたほうがいいよ。」とまずは必読書の『ヘルタースケルター』を勧めたにもかかわらず、ちらっと表紙をみただけで「なんか絵が強い、怖そうだからいい」と断られたのが非常に残念だ。ただならぬ何かを察したようである。さすが本好きに育った長女、自分の好みをよくわかっている。しかしあきらめるわけにはいかない。新たな私のミッションだ。(真)
design テンプレート