ここ数年、いやここ10年くらい、新たに開館する図書館はにぎわいというか、音に寛容になってきていると感じます。図書館は静かにするところ、という場所ではありませんよ、と館内の雰囲気が伝えています。昨秋に訪問した開館1周年を迎える新しい図書館もにぎわいを歓迎しているようでした。とはいえ館内がめちゃくちゃ騒がしいかというと決してそんなことはなく、学生も社会人も子どもたちもご年配の方々も、それぞれで図書館の空間を過ごしていました。そこには、なんというか、本のある場所で過ごす時の見えないモラルが存在するのかなと、とりとめもなく考えています。
商業施設である本屋さんは当然「お静かに!」などとはいわないけれど、騒がしいなとうんざりする場面に遭遇したことはありません。多くの人が行き交う店内で、お目当ての一冊を物色している人たちも同じかもしれません。
図書館も本屋さんも本棚は両面になっていることが多くて、自分とは反対側で本を選ぶ人の気配が感じられます。私の働く図書館の本棚は両面の真ん中に仕切りがないので、反対側で本を選んでいる人が本と本の間から見えます。棚によってはうっかり目が合うこともあるのではないかと思っているけど、そんな声をこれまで聞いたことはありません。私が返却された本を本棚に戻しているときに、向こう側から声をかけられたこともないので、そんなものかなと思っていました。でもある時、高校生ふたりが棚と棚の間で会話しているのを目撃!小声で「(何かを探して)あるかな?」「こっちにこれあるよ、ほら」とこっちの棚とあっちの棚の隙間から話をしているではありませんか!その様子をニヤニヤしながら覗いていたのはお許しいただきたい。写真におさめたいくらい、いい感じでした。
本でも映画でもゲームでもネット記事でも、自分が興味をもってわくわくしたことを共有したい気持ちは誰でも持っていると思います。SNSでつぶやくとか、ブログに書くとか色んな方法はあるけど、話すってことは一番手っ取り早くて簡単。「ねえ聞いて、これ面白かったんだよ」と本棚の隙間から話ができたらいいなと私は思うのですが、そういうのがお断りの方ももちろんいらっしゃるでしょう。でも、私は可能ならば棚の隙間に座って、本の背表紙を眺めたり、手にとってパラパラしている人に声をかけお話したいと思う人です。本が橋渡し役になるようなコミュニケーションがにぎわいに繋がる、そんなことが歓迎される図書館はいいなと思っています。
棚のあっち側とこっち側で話していた高校生、自然科学のジャンルが並ぶ棚を挟んでいました。そこで今回はその棚から一冊、本を紹介します。
『数学の贈り物』(森田真生/著、ミシマ社)。独立研究者を名乗る著者がミシマ社のメールマガジンに連載したエッセイをまとめたものです。数学の、と題していますが、この世のあらゆるものに想いを寄せて書かれていて、文中で紹介されている本も多く、読みたい本のメモが次々と増えていきました。以下に数行、引用紹介。
「私たちはいま、膨大な知と技術の体系に囲まれて、日々その体系の拡張に忙しない。足もとの「不思議」は遠景に霞んで、普段あまり意識されることもない。しかし、知や技術に「便利」はあっても、そこから根本的な喜びを汲み出すことはできない。喜びは、原初的な不思議のほうからこそ、湧き出してくるものなのではないだろうか。難解な証明を暗唱したときよりも、素朴な発見を自力で成し遂げたときのほうが、はるかに喜びは深い。」(p37)
著者のいう、原初的な不思議から湧き出る喜びは、それを受け取る感性もまた必要で、それを磨くことこそが読書に他ならないと信じるのは私が司書だからなのでしょうか。今日もまた、図書館であなたをお待ちしています。(石)
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