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タイトル 本の風

第13回 「千里の道も」

 司書として働いていた時、子どもと本を結ぶための取り組みのひとつに昔話や物語を覚えて語る、ストーリーテリング(素話)という楽しい仕事があった。最初から最後まで子どもたちの顔をみながら語るため、反応が手に取るようにわかる。うまくいったときは何とも言えない一体感を味わえるが、失敗したときのダメージといったらない。でも、だからこそやめられない魅力がある。

 たった10分程度の話であっても覚えるのは結構大変だ。何度も声に出して練習するには自分が確信をもってこれだ、と思えるお話でないと途中で投げ出したくなってしまうので、選ぶことに一番神経をつかう。自分がおもしろいと信じられるもので、なおかつ子どもたちがそれを聞いて、あー楽しかったと思えるもの。

 苦労してお話を覚えても、1回やってお蔵入りするものもある。そうかと思えばこれさえやれば間違いなし、と自分の名刺代わりといっていいくらい一生もののお話に出会えることもある。

 『かしこいモリー』(『エパミナンダス 愛蔵版おはなしのろうそく1』東京子ども図書館/編 東京子ども図書館)はイギリスの昔話で、森に捨てられた3人の女の子のうち、一番年下のモリーが勇気と知恵を使って姉を助け、王様と交渉し、命を狙ってくる人食いの大男を負かす痛快な話である。語りに10分は余裕でかかるのだが、高学年の難しい年頃の子も「面白かったよ。」と声をかけにきてくれる魔法のような昔話だ。
 これを訳してくれたのが松岡享子さんなのだが、上質なユーモアを心からわかっている人だと思う。悪者の大男が放つ乱暴な言葉に対するモリーの強気な姿勢やセリフ、物語の運びの部分はリズムのある文章。一体何度語っているかわからないが、全く飽きることがない。10年以上前に覚えたにもかかわらず、今やすっかり私の血肉となったようで、いつでも語ることができるようになった。昔話のすごいところは、口伝えであったものが現代まで生き残っているところだろう。『かしこいモリー』にも生きる知恵がたくさん詰まっていて、王様から出される無理難題を、やってみますと答えるモリーに、何度勇気をもらったことか。

 その松岡享子さんが今年に入ってすぐ、逝去された。子どもの本に関わったことのある人たちはみんな悲しんでいることだろう。インターネットの動画サイトに、松岡さんが名誉理事長をつとめていた東京子ども図書館のチャンネルがある。そこに『愛蔵版おはなしのろうそく』の前書きを朗読する松岡さんの姿があった。そのたたずまいは神々しく、言葉は温かく、本と子どもたちとその周りの大人への愛があふれていて、涙が出た。

 私も今から心を入れ替えて生きていけば、30年後くらいには素敵な大人になれる日がくるだろうか。先は長いが千里の道も一歩から、ということでまずは『子どもと本』(岩波書店 松岡享子/著)を読んで、一歩を進めることにしよう。 (真)

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