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タイトル 本の風

第10回 「久しぶりの美術館」

 絵を見るのが好きで、機会をとらえて美術館に出かけている。
 絵本の絵を見る眼を養いたいという下心もあるので、画家や画風の好き嫌いはなるべく言わず、とにかくたくさん見るようにしている。
 とは言うものの、1枚1枚をじっくりと真剣に見るのは意外に疲れるもので、最後のほうの作品はチラリと見てそそくさと出口へ、ということになる。だから、お好きなものを1枚どうぞと言われたらどれにしようか、などと不届きなことを考えながら気軽に見ることにしている、というのが本当のところである。

 緊急事態宣言がくり返されたこの間、ずいぶん見逃した展覧会があった。
 今、気を緩めてはいけないと用心しつつ、これは何としても、と出かけたのは、高崎市美術館で開催されていた『生誕130年記念・髙嶋野十郎展』である。
 わくわくと出かけたが、駅から徒歩3分とあるのに道に迷った。きっと大きな建物で、サインもあちこちにあるはず、と油断したのである。やむなく通りがかった若い女性にたずねたところ、来た道を戻って、ていねいに案内して下さった。駅へ急いでいらしただろうに、群馬県民はいい人だ、と、さらに足どりが軽くなったのである。

 さて、開館時刻から間もない館内はまだ静かで、1階から3階まで5室という造り。広々とした会場にはない、どこか秘めやかな空気が、この画家にぴったりという気がした。『近づくべからず 親しむは魔業(まごう)』とは、代表作と言われるからすうりの絵とともに、ちらしに添えられた言葉である。遺稿ノートに記されたというこの言葉には、画業を選んだことへの強烈な自負がにじむ。
 そのからすうりの絵の前に立ったとき、妖艶な赤い実(この赤は、何色と呼ぶのだろう)と、かすかに揺れて見える枯れた葉に、「さあ、もっと近づいてよく見なさい」とささやかれたように、吸いよせられてしまった。
 そして正面から、左右から、また少し離れて、しばらくひとりで見ることができたのは幸運なことだった。

 さらに、鬼気迫る蝋燭のシリーズ、月そのものでなく闇を描いたとされる月のシリーズ、意外なほど柔らかな印象の風景画など、期待以上の見応えだった。
 実は15年あまり前にも、三鷹市で髙嶋野十郎の展覧会を見ている。今回、その時にはなかった気づきや、新たに湧く思いがいくつもあったのは、年を重ねたことの恩恵だろうか。
 
 行きつ戻りつ、たっぷりと時を過ごして、美術館をあとにした。
 少しぼうっとしたまま思ったのは、もし1枚どうぞと言われても、丁重にお断りするだろうということだった。孤高の画家の作品を、俗塵にまみれた狭いマンションなどに置いてはいけないと一人で苦笑いした。

 全国を巡り歩いた髙嶋野十郎が、秩父地方を気に入り、終の棲家の候補として考えたこともあったという事実、埼玉県民としてはそのことで十分である。
 近年、評価が高まっているというこの画家に、次はどこで出会えるだろう。
 クリアファイルに入れたちらしの絵が、こちらを向いて、やっぱりかすかに揺れている。(む)

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