子どもの頃、ごくたまにではあったが、仕事から帰った父の背広のポケットから、サンドイッチの箱が出てくることがあった。
1960年代半ば、父が通勤に使っていたJR大宮駅には、今はすっかり新幹線に取って代わられたが、東北・上信越方面への特急・急行が何本も発着していた。ホームには駅弁の売店があり、売り子さんがよく通る声を響かせていた。
売り子さんが首から下げた大きな平たい箱の中に、ハムサンドとチーズサンドが交互に並んで五切れの、小ぶりな箱もあった。父はそれを、帰宅途中に買ってきてくれたのである。
当時はたいていの家が、父親の帰りを待っての夕食である。食卓には用意ができていたが、サンドイッチは私の主食となった。
ハムサンドには、黄色い辛子が多めに塗られ、子どもの舌にはかなりピリリとしたが、そのピリリをこよなく美味と感じていたのだから、やはり左党の素質はあったのだろう。
食べる前には、おてふき、と書かれた小さな袋を破り、少し薬くさい湿った紙で、指をゴシゴシ拭いたことも懐かしい。
もう少したった頃、ある朝母が、私のお弁当作りを忘れていたことがあった。催促されてあわてた母がその日持たせてくれたのは、柔らかな、小さな包みだった。
お昼に開けてみると、トーストした食パン二枚(薄いサンドイッチ用ではない)に、薄く切ったりんごとプロセスチーズ(Y社の箱入りチーズを切ったもの)をはさんで二つに切った、パンの耳もそのままの、簡単なサンドイッチだった。朝食に並んでいたものを、そのまま利用した急揃えなのは一目瞭然であった。見映えも、あまりよろしくない。
ところが、なにこれ? と思いながら食べはじめた私は、ひと口で、その複雑な味わいに魅了されてしまったのである。
トーストの香ばしさ、りんごの甘ずっぱさ、バターとチーズのほどよい塩気が一体となり、なんともおいしかった。それが家で出たことは一度もなく、母はいつこんなおいしいものを覚えたのか、不思議な気がした。
その後、そのサンドイッチを持たされた記憶はなく、今では時々、ひと口大のチーズとりんごを一緒に楊枝に刺し、酒の肴にしている。
さて、『サンドイッチ サンドイッチ』という、本物よりおいしそうな、美しい絵本がある。(小西英子作 福音館書店刊)。ハムやチーズはもちろん、彩り豊かないくつもの具材をはさんでできあがったサンドイッチは、気取らないおもてなしのランチだろうか。
この、サンドイッチという手軽な食べ物に、ささやかながら二つの幸せな思い出があることを感謝せねばバチが当たる、としんみり思いはじめたのは、まだ最近のことである。
今頃気づいた親不孝者と、泉下の父母のため息が聞こえてくるような気がするこの頃である。(む)
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