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連載エッセイ ROCK司書のセンチメンタル・ライブラリー 若園義彦

第19回 <センチメンタル,オリエンタル>

 東京は文京区本駒込に「東洋文庫」という図書館がある。英語名The Oriental Library。こちらは図書館であると同時に、東洋の歴史と文化に関する東洋学の研究所でもある。この図書館を象徴するのが「モリソン書庫」。オーストラリア出身の冒険家が集めた東洋に関する書籍のコレクションは、ただ美しいというだけでなく、実際に調査や研究に使用される本の集積が持つ「知への執念」を感じさせて、見るものを圧倒する。

 さて「東洋」という言葉はなかなか微妙な位置にある(と個人的に感じている)。自分が「東洋人」であると意識することはあまりない。「アジア人」だと意識することはあるのに。この「東洋」「オリエント」との微妙な距離が埋まるのは、宮古島の与那覇前浜ビーチが「東洋一美しい」と形容されることとか、矢吹丈が東洋太平洋チャンピオンであることとか、オリエンタルカレーを食べるときぐらいである。
 この距離感、どこから来るのだろう、と考えてみる。ひとつには「どこから見た「東」なのか」ということもあるだろう。私たちは特に「どこかから見た東」に生まれたり住んだりした覚えはない。ただその場所に生まれたり住んだりしているだけだ。私たちのさらに東にも世界は広がっている。ようするに「他者から見た我々」というところに対する違和感なのだろう。
 モリソンさんは「オリエント」に出会って、何を感じたのだろうか。「東洋人」は彼にとって奇妙で、ユニークで、魅力的に映ったのではないだろうか。そうでなければ、あんなに本を集めることはなかったのではないか。

 東洋文庫が東洋学研究のスタートにあたって「モリソンコレクション」という「西洋人が集めた中国に関する欧文文献」を基礎としたというのは興味深い。これはまさに「他者から見た我々」だからだ。「我々」のことを研究するのに「他者から見た我々」で始めるのは、ある意味倒錯的にも見える。しかし(個人のことを考えればわかりやすいが)「自分のことをいちばんよく知っているのは自分ではない」ということだ。他者は鏡のように自分を映しだしてくれる。

 我々、人はひとり残らず、誰かにとっての東に生きているし、別の誰かにとっての西に、北に、南に生きている。そして誰かにとって、奇妙で、ユニークで、魅力的な存在であるに違いない。そんなセンチメンタルな我々が、たまたま「東洋」にいることを楽しめないはずがない。

挿絵
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