back number

連載エッセイ ROCK司書のセンチメンタル・ライブラリー 若園義彦

第2回 <しろやぎ、くろやぎ>

 二匹のやぎの話を聞いたことがあるかい?
 永遠にどこへも行けない思いをやりとりし続ける、センチメンタルなやぎたちの話だ。

挿絵

 届いた手紙の内容を知りたくないわけじゃないのに、どうしても食べずにはいられない。食べずにはいられないけど、その内容は気になって仕方ない。だから手紙の意図を問う手紙を出し続けることになる。この業は深いぜ。
 『まど・みちお全詩集』(理論社 2001年)に詳しいから、よかったら読んでみてほしい。
 このやぎたちを「滑稽だ」と笑えるだろうか。人間だってせっかく届いた手紙を読まずに食べてしまうことはないか? そして食べてしまったことが恥ずかしくて、内容を照会することもできなくなってしまう。
 やぎたちは手紙を書き続け、出し続ける。「さっきの手紙だけどさ…」と。そしてその「手紙の用件を知りたい」という願いが叶う日が来ることは、ない。

 そんなやぎたちをみていると「白いやぎでも黒いやぎでも、手紙を書くやぎは良いやぎだ」と言いたくなる。これはもちろん、鄧小平が有名にした「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫が良い猫だ」のパクリというかモジリだ。
 モジりやすいレトリックだと言えるだろう。「中国五千年の歴史上、猫論ほど人口に膾炙した名言はない」とまで言われている(『鄧小平』(矢吹晋 講談社学術文庫 2003年)。元来は白猫でなく黄猫だった、とも)。
 『事件屋稼業』3巻(関川夏央、谷口ジロー 双葉社 1997年)には、主人公の探偵、深町丈太郎が依頼人や悪徳警官たちと「猫論」の応酬をやりあうシーンがある。鄧小平はハードボイルドにもよく馴染む。
 このレトリックが面白いのは白猫と黒猫というふたつの「違ったもの」を横断する普遍的な価値「ネズミを捕る」をわかりやすく提示しているところだ。猫にも色々あるけれど、結局のところ重要なのは…、と(まあ提示しているけれども、それが本当に普遍的な価値かどうかは別の話。だって、あなたの猫にネズミ捕ってほしいですか?)。

 さて、「白い図書館でも黒い図書館でも…」と図書館員も考える(かもしれない)。

挿絵

 大きい図書館、小さい図書館。新しい、古い。都会の、田舎の。館種や運営形態なども様々だ。図書館が奉仕する共同体はひとつひとつ違っているので、直面する課題もまた違ったものになる。そんな中で「〇〇するのが良い図書館」と言い切れるような普遍的な価値観を図書館は持ちうるだろうか、と。
 これはもう、やぎたちみたいに手紙を書き続けるしかないね(本当は食べる前に読んでもらえると嬉しいんだけど)。
 なお当館、センチメンタル・ライブラリーの価値観は極めてシンプル。「白い図書館でも黒い図書館でも、センチメンタルな図書館が良い図書館だ」。

Copyright (C) yukensha All Rights Reserved.

design テンプレート