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連載エッセイ ROCK司書のセンチメンタル・ライブラリー 若園義彦

第14回 <いつ読む、ドストエフスキー>

 『ミステリー・カット版 カラマーゾフの兄弟』(春秋社 2019)を編訳した、文学紹介者の頭木弘樹は「カラマーゾフ」について、5回目くらいの挑戦で最後まで読むことができた、と自身の体験を披露している。
 なるほど、ドストエフスキーは難読の作家なのかもしれない。『『罪と罰』を読まない』(岸本佐知子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美 文芸春秋 2015)は『罪と罰』を未読の翻訳家、作家、装丁家の4人が「読んでない」ことをネタに座談会をし、その後読んで「読んだ」ことをネタに座談会をするという企画。
 また、ロシア文学者で翻訳家の亀山郁夫は「仕事も人生も成功する」という視点で「カラマーゾフ」を紹介する本『そうか、君はカラマーゾフを読んだのか。』(小学館 2014)で「何よりこの超大作を読み切ったという事実そのものが、忍耐力や持久力の証でもある」と言っている。
 共通するのは「ドストエフスキーは読んでおくといい、しかしなかなかたいへん」というところ。そしてそれぞれの方法でドストエフスキーを読ませようとしている。うーん、ドストエフスキーってそんなに読みにくいものだったっけ…。

 「純文学とエンタテインメントの違いとか何とか言って、文学語っちゃってるけど、ドストエフスキー読んだことあるのかよ」
 「あるよ。『賭博者』。まあまあ面白かったよ」
 「いや、大長編読まないと、ドストエフスキーは」
 「いや、別に読んでなくても文学ぐらい語れる」
 「まあ、どっちでもいいけど、説得力はないな」
 「まあ、特に説得したいわけじゃないから構わんよ」
 そう言ってはみたが、思い直して図書館で借りて読んでみることにした。何ならドストエフスキー全部読んで、次に同じような会話をしたときに「全部読んだけど、たいしたことないね」とか言ってやろう、なんてくだらないことを考えたりしながら。
 『罪と罰』は普通に面白かった。しかし「必読」みたいな感じはなかった。この調子なら「たいしたことなかった」と言える日も近いかも、なんてくだらないことを考えたりしながら、次を『カラマーゾフの兄弟』に決めた。
 嵌った。こんなに面白い小説が、いやこんなに面白いものが他にあるだろうか、というぐらい面白かった。貪るように読んで、他の小説も読んだ。図書館にあるドストエフスキーはすべて読んだ。読み終える頃には、友人に「たいしたことなかった」などとハッタリをかます気分ではなくなっていた。かと言って生半可な「ドストエフスキー論」を開陳することもなかった。少しだけオトナになったということだろう。

 多くの人が「難読」作家とするドストエフスキーを、あのとき、あれほど読めたのはどうしてだろう。頭木弘樹は『ミステリー・カット版』のあとがきで、自身の長期入院中に同部屋の患者6人全員が「カラマーゾフ」を読んだというエピソードを紹介するとともに、「何かでひどく悩んだり苦しんだりしたときに」ドストエフスキーを読むことをすすめている。
挿絵  あのとき何に悩み、苦しんでいたのかは覚えていないけれど、読んでないことを揶揄されて「だったら全部読んでやろう」と思うぐらいには青く、鬱屈していたということだろう。そんな心にドストエフスキーは沁みた。
 オトナになると悩んだり苦しんだり鬱屈したりするネタは減ってくる(ような気がする)。ある意味、ドストエフスキーに嵌る機会は少なくなる(ような気もする)。しかし数多くの先達が、さまざまなカタチの「ドストエフスキーへの門」を用意して待ち構えている。嵌らずにすむか、すまないか、ちょっとだけ試してみるのも悪くない。

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