back number

連載エッセイ ROCK司書のセンチメンタル・ライブラリー 若園義彦

第6回 <おいしく食べる>

 「このよで いちばん すきなのは おりょうりすること たべること」と歌ったのは日本一愛されている(?)野ねずみ、「ぐり」と「ぐら」(中川李枝子・大村百合子『ぐりとぐら』福音館書店 1967)。

 「この世で一番」かと言われると微妙だけど、ROCK司書も料理は好きだ。出来のいい料理の写真をSNSにアップすると友人知人のリアクションがいい。本を紹介するときの3倍ぐらい「いいね」をいただいたりして、職業選択を間違えたのでは…と勘違いしそうになるが、実際には「料理上手」というほどのものではない。好きなだけ。しかし「おいしく食べる」ことにかけては、なかなか上手なのでは、と密かに自負している。

 「おいしいものを食べる」と「おいしく食べる」は違う。「特別高級だとか上等だとか物凄くおいしいだとかいうわけではない、むしろまあまあアレなものを、状況や体調や時刻にかかわらず、いつでも何でも(自分の作るものも含めて)おいしく食べられる」というのが、ここで言う「おいしく食べるのが上手」ということだ。 強靭な胃袋あってこそだが、おいしく食べるために考えていることはある。それは料理にしても食材にしても「そういうものとして受け入れる」ということだ。「好きな味ではないな」と感じたら、食べるのをやめたり我慢して食べたりするのではなく、「そういうもの」なのだ、と思っていただく。「好きな味ではない」のはなぜなのか考えてみたり、理由がわかれば対処してみたり、ということもする。そうこうしているうちに、おいしく食べられるようになったりする。「好きな味」のものだけ食べるというのは、どうも居心地が悪い。

 人類の歴史の中で、長く狩猟、採取、栽培、調理、摂食されてきたものには、そうされてきただけの理由があるはずだ。また、その結果として現在、生み出され続けるものにもそれなりの理由があるだろう。だったらゲテモノもジャンクフードも、おいしく食べないのはもったいないではないか、と思ってしまうのだ。

挿絵

 ここで「食べもの」を「本」に、「食べる」を「読む」に置き換えてみる。驚くほど自分が「食べるように読んでいる」または「読むように食べている」ことがわかる。

 食べることに喜びを感じるのはそれが生命維持に必要だからだ、という想像はなんとなく腑に落ちるところがある。読むことに喜びを感じるのもそれが生き残りのために有利になるからだ、と遺伝子だかゴーストだかが囁いているのだとしたら、そこは素直に耳を傾けておこうかな、と思うがいかがだろうか。

Copyright (C) yukensha All Rights Reserved.

design テンプレート