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連載エッセイ ROCK司書のセンチメンタル・ライブラリー 若園義彦

第5回 <3冊の猫本>

「今、猫の声しなかった?」

 閉館時刻を過ぎ、館内の見回りも終えて、さあ帰ろうか、というタイミングでの同僚のひと言でした。「聞こえなかったよ」と言えればよかったのですが、私の耳にもその声は届いていたのです。何かを訴えるような、切なげな猫の声。
 図書館内に猫が入りこんでいるとしたら、そのままにしておくわけにもいきません。他の職員はもう帰ってしまっていたので、同僚と私、二人で手分けして猫を探すことにしました。

 無人の館内は、当然ですが人の声もなく物音ひとつしません。静寂の中、書架の間や窓際などを、猫を探しながら歩いていきます。
 いないな、声はどこからしたんだろう?と思っていると、同僚がソファのかげに蹲っているではありませんか。
 「どう?猫いた?」と私は声をかけました。

 振り向いた同僚の口は猫の首をくわえていたのでした。まるで宅配業者のロゴマークのように。そして、猫を床に落とし、ネコ科の動物のように大きく開いた口でこう呟いたのです。

「見たな」

挿絵

 何者かが私の脳裏で叫びました。「逃げろ」と。私は瞬時に出口に向かって走りだしました。同僚は足音もなく追いかけてきています。このままでは追いつかれる。そう思った私は手近に面陳してあった本を取り(図書館員としてあるまじき行為だとは思いつつ)迫ってきた同僚に投げつけました。その本は内田百閒の『ノラや』(中公文庫 1997)でした。私は「しめた」と思いました。もしも同僚が『ノラや』を読んでいて、百閒先生の泣きっぷりを思い出したら、少しでも追いかける足が鈍くなるかもしれません。少し走ってから後ろを振り返ると、やはり同僚は足を止めて『ノラや』をパラ見していました。しかし私が息を整えていると本を放り出し、再びこちらに向かって走り出しました。

 このままではやられる(何を?想像したくない!)、本の力を借りるしかない。私は逃げながら本を探しました。そのとき目に入ってきたのが『図書館ねこデューイ』(ヴィッキー・マイロン 早川書房 2008)でした。そうだ、デューイは図書館に捨てられた恨みから化け猫になって図書館員や利用者を襲ったりはしなかったぞ、たぶん。デューイは図書館で働くことによって町を幸せにしたんだ。私はその本を同僚に思い切り投げつけました。そしてまた少しだけ時間を稼ぐことに成功したのです。

 とは言え、同僚に追いつかれるのは時間の問題。しかし私も出口に近づいていました。こども室を抜ければすぐそこは出口。こども室の書架にどの本が面陳してあるか、私は祈りながらこども室に入っていきました。そして自分の運の良さを(これまで信じたことのなかった)図書館の神様に感謝したのです。

 その本を手に取って、私は彼女が来るのを待ちました。ほどなくこども室に入ってきた彼女は、ほぼ大型の肉食獣といってもいい姿で、今にも私に飛びかからんばかりの勢いでした。私たちの間にあるのはこども用の小さなテーブルだけ。私はそこに(今度は図書館員らしく丁寧に)本を置きました。

 『100万回生きたねこ』(佐野洋子 講談社 1977)

 私は何も言わず踵を返し、出口に向かってゆっくりと歩きました。もう恐怖はありません。出口の鍵をかけ、建物を離れます。少しだけ同僚の泣き声が聞こえたような気がしました。

 「図書館に猫を置き去りにしてしまった」
 図書館では毎日、何かが起こっています。

挿絵
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