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連載エッセイ ROCK司書のセンチメンタル・ライブラリー 若園義彦

第26回 <コロナの時代の愛(2)>

 『コレラの時代の愛』は冒頭、誰が主人公なのか、重要な役どころなのか、把握しづらく、世界に入るのに時間がかかった。ちょっとわかってきたかな、というあたりでこんな文に出会う。ある郵便局員が、その後51年9か月と4日間、報われない愛を捧げることになる、少女との出会いを描いた部分だ。
 「雌鹿を思わせる軽やかな足取りは重力の影響をまったく受けていないように思われた」。
 ああ。あの図書館の人に見覚えがあったのはこういうことだ。重力の影響を受けていないような足取り。
 そう思うと一気に物語に引き込まれていった。それは、入口こそ少し狭く感じさせるものの、複雑な構造にたくさんの部屋が隠されている大きな建物のようだった。
 多少の予備知識はあったが、それでも想像以上に「コレラ」の影は薄いと感じる。背景に常に存在を感じさせるが、描かれているのはその時代の「愛」だ。カミュの『ペスト』(新潮文庫 1984)が『ペストの時代の愛』でなく『ペスト』であったように、『コレラの時代の愛』は『コレラ』ではなく『コレラの時代の愛』なのだ。タイトルというのは上手くつけられている。そしてこんな文に目が留まる。
 「人の心には売春宿以上に沢山の部屋がある」。
 売春宿という例えはよくわからないが、これは単純に「多くの」という意味かな、と思う。たしかに人の心にはたくさんの部屋がある。コロナのことを考えながら次の食事のことを考えるし、コレラの時代を思いながらSNSを眺めたり誰かの言葉に心を動かされたり政府を批判したり空を見上げたり来年の今頃のことを想像したり人を好きになったりする。ワンルームではとても間に合わない。
 「売春宿以上」を言い換えるとすると、どれぐらいの部屋が人の心にはあるのだろうか。少なくとも、と思いつく。「読んだ本の数以上には部屋がある」のではないか。
 そんなことを考えながら『コレラの時代の愛』を読み終える。小説って面白いなあ、と単純に思う。そうしていると図書館からメールが届いた。予約していた藤原辰史の『給食の歴史』(岩波新書 2018)の用意ができた、とのことだった。図書館のホームページで開館していることを確認し、本を受け取りにいった。
 図書館の様子は変っていなかった。予約本の受け取りと返却のみ。人影は少なかった。返却カウンターには、重力の影響を受けていない、あの人が立っていた。マスク越しの笑顔はこちらを覚えてくれていたように見える。「濃厚接触」という言葉が浮かんだが、本をカウンターに置きながら話しかけてしまった。
 「これ、よかったです、今読めて」
 本を手に取るとその人は言った。
 「こういうときって、読む本の1冊1冊が身に沁みますね。『コレラの時代の愛』が小道具に使われる映画、観たことあります?『セレンディピティ』っていうんですけど」
 観たことはなかった。なんだかひとつ、いいものをもらったような気持ちになった。

(つづく)

挿絵
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